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  • ベルトルッチの「暗殺の森」を劇場で観たよ、ラストエンペラーも同じ構成とは

    ベルトルッチの「暗殺の森」を劇場で観たよ、ラストエンペラーも同じ構成とは

    2023年11月10日(金)

    本日は東京は久しぶりの雨模様の天気です。そんな天気もあっては、やっぱり映画館で映画を観るにこしたことはありません。

    本日観た映画はイタリア映画の名作「暗殺の森」です。「午前十時の映画祭」のプログラムです。町山智浩氏の解説映像付き上映会となります。町山氏の解説が入るということは結構難解な隠れたテーマがあるんだろうね

    あのスペイン映画の「ミツバチのささやき」でも町山氏の解説でフランコ独裁政治への反抗メッセージということが理解できたものね。

    「暗殺の森」はあのイタリアの名監督ベルナルド・ベルトルッチ

    主演は「男と女」のジャン=ルイ・トランティニャンです。原作はイタリアを代表する作家の一人、アルベルト・モラヴィアです。

    映画の前と後で町山氏の解説が入ります。まずは、映画前の解説です。

    「暗殺の森」の森の撮影監督はヴィットリオ・ストラーロでこの映画は「市民ケーン」と並んで史上最も先鋭的な撮影による映画とのこと。青いバックはフランスでの出来事、白いバックはイタリアでのことと背景色を観ただけでどちらの場面かわかるとのこと。

    1938年、ファシスト政権下のイタリア。少年時代の性的トラウマゆえに「誰よりも普通の人」になろうとした主人公、当時のイタリアで普通はファシストに属すること(ドイツではナチ、日本では天皇崇拝)で、結局は自由に生きればよかったのにという対比をしている映画(これ正しいかな)

    ストーリーはこんな感じ。

    第二次世界大戦前夜のイタリア。哲学講師のマルチェロは、幼い頃、自分の送り迎えをしていたゲイの運転手を射殺したトラウマを抱えており、今はファシズムに加担している。組織の命令で、反ファシストのかつての恩師クアドリの身辺調査を依頼された彼は、婚約者のジュリアと共にパリに赴く。マルチェロとジュリアは、クアドリと彼の魅力的な若妻アンナに接近し、食事やダンスを共にする。だが、組織からはクアドリを殺害せよという第2の指令が発せられる……。

    解説を聞かないと深い伏線はわからない映画でした。29歳でこんな映画を作るベルトリッチという人は只者ではないね。下世話な話しですけど、この映画のドミニク・サンダは素晴らしい。(当時20歳とか言っていたね)

    観終わってからの町山氏の解説です。覚えている限り。

    ストーリーは後の「ラスト・エンペラー」の原型。暗殺の森では最後はファシズムの崩壊、ラストエンペラーでは溥儀を担いだ満州国の崩壊。同性愛等々。

    そして、暗殺の森はいろんな場面で師匠でもあったゴダールへの贖罪と決別を表していると。この映画からベルトリッチは大作路線に舵をきり、ゴタールから決別していった。

    有名な女性2人のダンスシーンは同性愛を連想させ、店内の白、柱の赤、そして外の青でフランス国旗のトリコロールを表していると。

    この映画では鉄格子やガラス窓で内と外の対比が出てくるが、普通(ファシズムやナチ)と普通でない(当時は自由な人)との対比が描かれる。最後の暗殺場面でも車の窓を通して同じ対比が描かれる。

    まあ結論としては、いろいろな伏線があり、難解な映画でした。だけど面白かったよ。やっぱり、イタリアはダヴィンチとミケランジェロを生んだ国だもんね、一筋縄ではいかないよ、そうそう、あのモリコーネ先生もね。

    ゴダールの「軽蔑」4Kを観たよ、やはり最高傑作に恥じない名画、おすすめ





  • ゴダールの「軽蔑」4Kを観たよ、やはり最高傑作に恥じない名画、おすすめ

    ゴダールの「軽蔑」4Kを観たよ、やはり最高傑作に恥じない名画、おすすめ

    2023年11月8日(水)

    本日は古いフランス映画のお話しを。

    火曜日にはゴダールを、水曜日にはクロードルルーシュを観たよ。どちらも巨匠です。その映画とは、

    • 軽蔑 60周年4Kレストア版(ゴダール)
    • 男と女(ルルーシュ)

    「男と女」は”ダバダバダア”で有名な名作ですが、自分は観たことなかったんでね。

    まずは渋谷で「軽蔑」を鑑賞です。何でもこの「軽蔑」、ジャン=リュック・ゴダールの最高傑作の一つと称されているようです。

    カプリ島を舞台に、作家ポールとその妻カミーユの悲劇的なロマンスを描く。
    ポールの美しき妻カミーユにブリジット ・バルドー、作家ポールにミシェル・ピッコリというフランスの伝説的俳優が主演。

    ゴダールは「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」は観たことがあるのですが、洗練度ではこの「軽蔑」が一番かも。一つ一つのカットが写真的で印象に残るシーンが多い。監督もそんなシーンを繰り返し使うものね。ブリジット・バルドーに関して映画では確かに魅力的なんだが、どうなんだろう。バルドーにとっても最高傑作かもね。

    確かに若い野心のある映画監督が観たら(当時はなおさら)、刺激的な映画だよね。ゴダールは難解と思い込んでいましたが、この「軽蔑」を観たら歴史に名を残す監督だよね。

    だけど、カプリ島のシーンたまらないね。でも最後までわからなかったのは、バルドーの心変わりがどうしてなのかです。日本人にはわかりにくいよね、そのへんの心境。よい映画を観させていただきました。

    そして、水曜日は“午前十時の映画祭”で日本橋で「男と女」を鑑賞です。

    話しこんな感じなのね。カンヌでパルムドールをとってことも初めて知りました。

    話しはこんな感じ。

    パリで一人暮らしをするアンヌとカーレーサーのジャンは、ドービルにある同じ寄宿舎に娘と息子を預けていることから知りあい惹かれあった。が、いまだ辛い過去を忘れられない二人は……。
    流麗なカメラワーク、カラーとモノクロームを使い分けた大胆なモンタージュ、そして甘美なメロディが“運命の出会い”に魅入られた男と女の恋を浮き彫りにしていく。

    男優のジャン=ルイ・トランティニャンもいいのですが、この映画は女優のアヌーク・エーメがいいところをさらっていくね。あの時折醸し出すあの表情がたまりません。だけど、彼女の元夫はもう少しいい男というわけにはいかなかったのかな。

    ドービルのあのモノクロームぽく撮る海辺の通りの老人と犬のシーンが何回も流れますが、何か映画史上に残るシーンだね、何か絵心が沸き立ちそうです。セピア色の風景です。

    クロードルルーシュの映画は「愛と悲しみのボレロ」しか観ていませんが、この「男と女」はコンパクトにまとめ上げて彼の最高傑作なのでしょうね。

    自分としては最後の終わり方に違和感があるのですが。やっぱりあの流れではハッピーエンドはダメだと思うんだね。

    終われば、日本橋の「京都銀閣寺ますたにラーメン」へ。「男と女」の余韻に浸りながら、ビールとおしんこです。ここはやっぱりシャンパンじゃあないと様にならないね。

    そして、麺硬めで“ますたにラーメン”を。やっぱりこのコースが一番いいね、日本人だもの。(最後は相田みつを風)

    政治家よ、外遊する暇があれば「シモーヌ – フランスに最も愛された政治家」を観ろよ



  • ジャン=リュック・ゴダール監督追悼で映画館で「勝手にしやがれ」を観た、脚本というより映像演出の斬新さが秀逸だな

    ジャン=リュック・ゴダール監督追悼で映画館で「勝手にしやがれ」を観た、脚本というより映像演出の斬新さが秀逸だな

    本日も昔の名画のお話しです。先日、フランスのジャン=リュック・ゴダール監督がお亡くなりになられました。自分の映画史の中ではそんなに思い入れのある監督ではなかったのですが、「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」はDVDで鑑賞していたと思ったのです。

    映画館の大スクリーンで観る「勝手にしやがれ」はどんなものかなと興味本位で、渋谷のBunkamuraル・シネマに足を向けたのでした。

    “ジャン=リュック・ゴダール監督追悼上映”に参戦です。

    9月13日に91年の生涯を閉じたジャン=リュック・ゴダール監督を追悼し、ゴダール監督の長編デビュー作『勝手にしやがれ』と、ヌーヴェル・ヴァーグの最高到達点と評される代表作『気狂いピエロ』の2作品を追悼上映いたします。

    ジャン=リュック・ゴダールは1930年12月3日パリ生まれ。「カイエ・デュ・シネマ」誌などで映画評や映画論を執筆したのち、長編監督デビュー作となった『勝手にしやがれ』(60)がベルリン国際映画祭監督賞及びジャン・ヴィゴ賞を獲得して以来、フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール、クロード・シャブロル、ジャック・リヴェットらとともにヌーヴェル・ヴァーグの中心人物として、また映画史において最も重要で影響力のある映画監督のひとりとして知られています。

    2022年9月13日、スイスの自宅で91歳の生涯を閉じたゴダール監督に敬意を表し、追悼上映を行います。

    鑑賞した後の感想です。実はこの名画「勝手にしやがれ」を観たことがないことが分かったのでした。アチャーです。

    月並みな表現ですが、この映画は脚本というよりジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグの魅力とジャン・リュック・ゴダールの斬新な演出とカメラワークが最大の魅力なのかな。「気狂いピエロ」ほど難解な話しの筋ではないな。

    当時のパリの雰囲気が映像に爆発しています。当時、この映画を観たらその斬新な演出にはまっただろうなという映画ですね。だけど、ジーン・セバーグはオードリー・ヘップバーンに容姿やそのコケティッシュさ雰囲気も含め、よく似ていますね。そう素直に思ったのでした。

    だけど、当時のパリでもジャン=ポール・ベルモンドの演じた役の日常はやっぱりありえないな。まあ、映画だと言われればそうなのですが。気狂いピエロといい、やっぱり最後は破滅的になるのね。

    話は脇道にそれますが、沢田研二の「勝手にしやがれ」はこの邦題が由来なのかな。