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  • 2日続けてサタジット・レイの「エレファント・ゴッド」、ババは悪い奴

    2日続けてサタジット・レイの「エレファント・ゴッド」、ババは悪い奴

    2025年8月6日(水)

    昨日の東京都心は本当に暑かったよ、昼間は渋谷にいたんだけど、クラクラしたものね。こんな時でも観光客はいるのね。

    本日は朝6時にあるところへ行って、昼間のビール代を稼ぎにいったよ、単純労働だけど、時給2,000円、涼しい環境でね

    そして、昨日も行った、渋谷のル・シネマで絶賛開催しているこの監督の特集。

    • 「サタジット・レイ レトロスペクティブ2025」

    古典はいつも新しい―― デジタルリマスターされ美しい画質で蘇るサタジット・レイの傑作群!

    黒澤明、マーティン・スコセッシ、フランシス・フォード・コッポラ、ウェス・アンダーソン……世界の巨匠たちが敬愛してやまない映画界の巨人サタジット・レイの全貌が、ついに見えてくる! 監督デビュー70周年、世界的映画監督でありながら、まだ全貌が明らかにされているとは言い難いサタジット・レイの偉業と魅力を発見する、またとないチャンス!

    本日観た映画はこれ。

    • 「エレファント・ゴッド デジタルリマスター」(日本劇場初公開)

    レイ監督自身による小説「探偵フェルダーシリーズ」を元に映画化された第2作目。主人公の探偵がその高い分析力と洞察力で事件を解決に導く、エンターテイメント性に富んだテンポのよい冒険コメディ

    1979年/原題:Joi Baba Felunath/英語題:The Elephant God/122分
    監督・原作・脚本・音楽:サタジット・レイ/撮影:ショウメンドゥ・ラエ/編集:ドゥラル・ドット
    出演:ショウミットロ・チャタルジ、ショントシュ・ドット、シッダルト・チャタルジ

    この映画はカラーかつ探偵物で比較的分かりやすい話しなので、観るのに思考は必要ありませんでした。昔のバナラシの街の様子が興味深かったよ

    自分がバナラシを訪問したのは20年ほど前かな、当時でもすごい混沌が極まった街だったね。

    レイ監督はババを要所に使うのが好きだね、宗教者を悪人によく仕立てあげるよね。ちなみに、ババはインドで「父」や「尊敬する人」を意味する言葉であるとのこと。

    この映画は韻を踏むとゆうか、そうゆう風刺が効いているね。

    この映画が傑作がどうかは判断できませんが、興味深い映画なのは間違いなかったよ。

    そして、明日もこの監督の映画を観に行く予定だよ。

    観終われば、小腹がすくんだね、そしてこの暑さ、ビールを1杯飲まないと気絶しそう

    道玄坂にある立ち食い寿司の“魚がし日本一”さんへ。

    中ジョッキでイワシとサーモンの4貫流し込んで、エネルギー充電完了。

    本日も充実した一日でした。

     



  • 宮本亜門さんいわく、インドは誰かに導かれていくところ、バナラシはインドの混沌、ここに極めり

    宮本亜門さんいわく、インドは誰かに導かれていくところ、バナラシはインドの混沌、ここに極めり

    こんなときだから、海外の旅の話しをしようと思います。

    先週2021年3月7日の日本経済新聞の朝刊に宮本亜門さんのエッセイでハタッと気付かされたのです。その宮本亜門さんのエッセイの要旨はこんな感じだったと思います。

    インドは誰かに導かれて行くところという話を、自分は画家の横尾忠則さんから聞いた。自分がインドを訪問したきっかけは、横尾さんが是非行きなさいと背中を押してくれて、訪れたとのことです。

    そして、その横尾忠則さんにインドに行きなさいといってくれたのが、かの三島由紀夫さんだというのです。

    そして、皆さん(読者)も是非インドに行きなさいと私が導きます。

    まあ、こんなエッセイだったと思うのです。実に興味深い話しです。

    自分の場合の初インドは2009年の夏だった。この旅は誰かが導いてくれたわけではないのですが、自分の好奇心からの旅だったのです。家族4人で10日間ぐらいの旅だったのです。

    確か訪れたところは、ムンバイ、デリー、タージマハール、そしてあのガンジス川の沐浴で有名なバナラシです。一度はあのバナラシでガンジス川の沐浴をこの目で見てみたかったのです。そして、すべて個人で手配して旅立ったのです。

    バナラシの第一印象は、まあ埃っぽくて、小さな小道がたくさんあり、一見客にはかなりハードルが高いんだな。その小道に平気で大きな牛も入り混じり、一言で言えば“インドの混沌ここに極めり”といえるものです。

    当時の写真を見ても、このバラナシの街角の写真は埃っぽい写真なのです。

    やっとのことで、迷いながらも小道を抜けると、写真などでよく見かけるガンジス川の川辺に出たのでした。川辺では何箇所も火葬が行われています。沐浴する人、混沌とした川辺の景色です。

    家族で小舟を一層チャーターして15分ぐらいガンジス川に小舟を浮かべたのでした。

    バナラシでのホテルは確か「ホリディイン」だったと思います。ホテルに帰れば、外の喧騒と暑さとは無縁の世界です。本当にクーラーが効かないホテルだったら、大変だったと思います。今思い出しても、バナラシの混沌は強烈な思い出です。

    それからインドからは足が遠のいていましたが、2019年3月に家族を連れてある目的のために、コルカタ(カルカッタ)に赴いたのが2回目のインド訪問です。

    目的とは、故マザー・テレサのところで奉仕活動を行うことだったのです。

    コルカタの印象は、大きな都市ですが、都市版のバナラシという印象を受けたのでした。バナラシほど埃っぽい街だと思いませんが、ここも“インドの混沌、ここに極めり”という街でした。コルカタでは、「ケニルワースホテル」というホテルに宿泊したのでした。

    本当にインドではできるだけ良いホテルに泊まることをおすすめします。

    そんな自分が感じたインドの印象です。

    混沌の町、コルカタ来て、感じたこと。なぜ、ドミニク・ラピエールは「歓喜の街」と呼んだのか?





  • 混沌の町、コルカタ来て、感じたこと。なぜ、ドミニク・ラピエールは「歓喜の街」と呼んだのか?

    混沌の町、コルカタ来て、感じたこと。なぜ、ドミニク・ラピエールは「歓喜の街」と呼んだのか?

    週末にデリー経由でコルカタに初めて来て、滞在している。自分は、カーリーガートのボランティア活動に参加している家族とは別に、昼間、ホテルでこのブログを書いている。

    コルカタは本当に、一言で言うと「混沌の街」。車は渋滞し、クラクションは常に鳴り響き、道はデコボコ、道端では男がパンツ1枚で井戸の水で石鹸を付けて体を洗っている、道路に寝ているもの(死んでいるかも)、犬も何故か横になっている、外から丸見えの男性用小便トイレ、見るからに貧富の差は激しく、道路で見る人たちは圧倒的に貧しいものが多い

    公共交通機関の代表である路線バスは、デザインだけはかわいいものがあるが、見ているとかなりの混雑ぶりです。すぐに乗らないと、置いて行かれます。バスが動きながら、飛び乗る人もいます。

    そんな街で、自分は今、「ケニルワースホテル」というホテルに滞在している。このホテルの門をくぐると全く別世界がある。庭では小鳥のさえずりが聞こえ、ホテルにいる限り、遠くから聞こえるクラクションがなければ、ニューヨークや東京の高級ホテルにいるのと変わらない

    コルカタの人口はインドの中では6番目に多い街。自分が訪れたインドの街で比較になるのは、ガンジス川の聖地のバナラシ(ワラーナシー)だと思う。バナラシは土煙が道路に舞い、小さな路地が入り組んで本当に混沌の街であった。コルカタはその都市版かな。どちらも、混沌さが半端ないと思う。

    今回の旅行で持ってきた本が、ドミニク・ラピエールが約35年前に書いた「歓喜の街 カルカッタ」(上下2巻)。この本は、「パリは燃えているか?」の著者ドミニク・ラピエールがマザー・テレサの国インドで体験した愛とヒロイズムのノンフィクションです。歓喜の街とはスラム街の別名です。映画にもなっています。邦題は「シティ・オブ・ジョイ」です。

    本の紹介には、「確かに、彼らは何も持っていない。しかし、この人たちはすべてを所有しているともいえるのだ」とあります。

    ところで、マザーハウスにはマザー・テレサが生前使っていたものが多数展示されています。本当に質素な生活をされていたことが、わかります。

    住まわれていたお部屋も小さなベットと机ぐらいしかありません。3帖ぐらいのお部屋です。

    外の喧噪は絶えずマザーハウスの敷地にも聞こえてきます。

    マザー・テレサと親交のあった故渡辺和子さんの本のタイトル「置かれた場所で咲きなさい」を思い出します。

    思い悩んでいる方、自暴自虐な状態にある方などは、コルカタに来てどんなことをしても食料を手に入れて生きていこうという人の姿を見れば、考えさせられると思います。

    「小さきものであれ」 by 聖フランチェスコ

    だけど、どうしてあれだけ少しのことでクラクションを頻繁に鳴らさないといけないのか、不思議ですね。クラクションの負の連鎖を起こしています。