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  • クリストファー・ノーランの伝説の始まり、オッペンハイマーよりフォロウィングだろう

    クリストファー・ノーランの伝説の始まり、オッペンハイマーよりフォロウィングだろう

    2024年4月10日(木)

    本日より普通の日常のブログに戻ります。

    ナポリから帰国したあと、すぐにしたことはあの話題作「オッペンハイマー」を大スクリーンで観ることでした。今年のアカデミー賞の作品賞・監督賞・主演男優賞を獲得した作品で、監督はあのクリストファー・ノーランだもね。

    告知版での渡辺謙が語る“オッペンハイマーの栄光と没落”はどんな感じなのかね。3時間の大作です。

    観ての率直な感想。よい映画、是非劇場の大スクリーンで観るべき映画、チケット代のもとはとれる作品で確かに大作ですが、オッペンハイマーの栄光は分かるのですが、何故、没落したのかあまりよく理解できませんでした。確かに、共産主義者の疑い、ソビエトへの情報漏洩疑惑とかは分かるのですが、少し解釈が難しいよね、その辺が。

    アインシュタインとの力関係というか置かれている立場は当時そうだったのか。今の評価では圧倒的にアインシュタインだと思うのですが。

    ある映画評にこれでクリストファー・ノーランは大監督の仲間入りと書かれていましたが、その評価どうなんだろう。前作のテネットも自分的には難しすぎて難解だったしね。

    やっぱり「インセプション」とか「ダークナイト」の時がいいよね。

    そんな戯言を言っている中で、今週初めにノーランが監督した長編デビュー作「フォロウィング」を観たのです。何でも“アカデミー賞作品賞ほか最多 7 部門受賞『オッペンハイマー』公開記念”とか。話しはこんな感じ。

    作家志望の男ビルは、創作のヒントを得るため、通りすがりの人々のあとをつける行為を繰り返していた。ある日、ビルがいつものように男をつけていると、尾行していることがその男、コッブにバレてしまう。だが、コッブもまた、他人のアパートに不法に侵入し、私生活を覗き見る行為に取りつかれていた。ビルは次第にコッブに感化されていく。数日後、ビルはコッブと二人で侵入したアパートで見た写真の女性に興味を抱く。やがて、彼女の尾行を始めるビルだったが、その日を境に、彼は思わぬ事件に巻き込まれていく……。

    何の先入観もストーリーも知らず観ました。複雑で緻密なプロット、時間軸を動かす技、デビュー作でこんなのを作ったのは天才だね。脚本も彼自身だものね

    70分のモノクロ映画ですが、実に見応えがあります。ヒッチコックとタランティーノが合体したような映画だね。おしゃべりを少なくした「パルプ・フィクション」というか

    みんな時間軸を動かすのが好きだね、まあそれが映画の醍醐味かな。お金をかけなくても、こんな凄い映画が撮れるんだ、才能さえあれば

    ここから伝説が始まったんだね。そりゃあ、ハリウッドの映画会社が放っておかないよね。

    「ドル3部作」はまさに三方よし(監督・俳優・音楽)の映画、そして「おつな寿司」もね

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  • ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読了、現代世界文学の最高傑作というが自分には理解できず

    ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読了、現代世界文学の最高傑作というが自分には理解できず

    ホーチミンの旅行記は2回ほど小休止です。

    今日の話題は自分の中ではこの40年間で是非やりとげたいと思っていたことを昨日に遂に達成したのです。

    あのG・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を最後まで読み切ったのでした。(かなり暇がないとできないね)自分にとっては大きな一歩だったんだな。(月面着陸の言葉みたい)

    自分の保有している版は、1972年5月10日に発行されその20刷1984年7月15日発行の本なのです。自分が若かりし頃、某公共放送に勤務しその初赴任地の鹿児島の天文館の書店で購入したのでした。以後、引っ越も何回もし、その都度連れ回し、本棚のこやしになっていたものです。いつか読みたいなと。その日は本当にくるのかと。

    この本の帯がすごいです。“孤独、栄光、悲劇がうずまく現代世界文学の最高傑作”。本棚にこの本があるだけで格が上がるというか重みが違うんだな。(ミーハーだね)

    マルケスは1982年度ノーベル文学賞を受賞しています。日本での出版元の新潮社での紹介文です。

    蜃気楼の村マコンドの草創、隆盛、衰退、そして廃墟と化すまでのめくるめく百年を通じて、村の開拓者一族ブエンディア家の誰彼に受け継がれた孤独の運命は、絶望と希望、苦悩と悦楽、現実と幻想、死と生をことごとく呑み尽くし……。1967年に発表され、20世紀後半の世界文学を力強く牽引した怒濤の人間劇場が、今、再び幕を開ける

    というわけで、約ひと月半かけて全文を読みました。読後の感想ですか?

    はっきり言って、よくわかりませんでした。だけど、すごいものを読んだなという感想は残った。マコンドという町が誕生して100年後に滅亡するという話で、その中でラテンアメリカ特有の寓話がたくさん挿入されているのはわかります。

    だけど、これを一度読んだだけで20世紀後半の世界文学の最高傑作と言える読み込みができる読者はすごいね。そんな人いるのかな。

    ただ、自分なりに思ったのは、筋のあるものや主題があるものだけを書くだけが小説ではないということかな。わけの分からないことを書くのも小説かな。

    マルケスは何が言いたかったんだろうか?結局、「人の人生はいろんな出来事が起こるが、つまりは蜃気楼のようなもんだよ」、ということなのかな。単純すぎか。

    それにしても約40年間温めていた本を読んだ爽快感はあるな。あの、マルケスの「百年の孤独」を本当に読んだんだよと。人に吹聴したいな。

    今年はあのアイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」を読み、続いてマルケスの「百年の孤独」を読んだのです。自分を褒めたいな。(何か、違う方に向かっている気もするが)

    映画であれば、ゴットファザーとディア・ハンターとヴィスコンティのルートヴィッヒを立て続けに見たぐらいの重量感です。

    話しは突然変わりますが、自分がこの10年で読んだ一番感銘を受けた日本人作家の小説は西加奈子ちゃんの「サラバ」だな。この本で小説というものの力を知りました。

    また5年後のマルケスの「百年の孤独」を再読したいと思いますが、次は家系図を丁寧に書きながら読んでみたいね。この気持ち、読んだ人なら分かると思います。

    マルケスの「百年の孤独」おすすめします。なんたって、20世紀後半の世界文学の最高傑作ですよ。人間、たまには訳のわかならいものと対峙しないと進歩しないと思うんだな。

    塩野七生のエッセイを読んで自分の旅でチュニスのことを思い出した、行ける時に行かないとね