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  • 若者よ、海外旅行の初めにできるだけ遠くに行ったほうが良いよ、度胸ができるよ、寂しさも旅の楽しみ

    若者よ、海外旅行の初めにできるだけ遠くに行ったほうが良いよ、度胸ができるよ、寂しさも旅の楽しみ

    若者も含めすべての旅人が憧れる旅の仕方に沢木耕太郎さんの「深夜特急」があると思います。思い返せば、自分が初めて海外を旅行したのはニューヨークへの一人旅だったのです。会社員をしていて確か28歳での旅行が初めての旅でした。

    やっぱり最初の海外は“箔がつく”ところでニューヨークを選んだ記憶があります。(今思えばバカだね)旅券は直行便の格安航空券でホテルも別に手配した個人旅行でした。

    今日はそんな自分の旅の記憶といおうか懐メロの話しではないのです。

    旅を始めた若者が初期に距離的にかなり離れた場所に行くことの功罪について考えみたいのです。やはり距離的に遠いところに行くと度胸というものがつくと思うのです。ホントかいな。

    但し、ここではツアー旅行は除きます。ツアー旅行の場合は、どんなに遠くに行っても自分の経験値の積重ねにはならないからです。要は航空券とホテルのみ手配していく個人旅行です。

    まあ、定義的には日本発で言えば東南アジアを除いて、直行便が飛んでいなくて、必ずトランジット(その国での国内線へのトランジットは除く)というところになります。

    自分的にはこれにあてはまる4~5つぐらいが記憶に残っている。

    • 成田-メキシコシティ-リマ-イグアス-ブエノスアイレス-メキシコシティ-成田
    • 成田-パリ-マラケシュ(モロッコ)-パリ-成田
    • 成田-パリ-チュニス(チュニジア)-シチリア-ローマ-成田
    • 成田-フランクフルト-カイロ-フランクフルト-成田
    • 成田-バリ-パース(オーストラリア)-クアラルンプール-成田

    特に、アルゼンチンのブエノスアイレスに行った時は空港についた途端に半端ないアウェイ感を感じたんだな。だけど、彼の地でもしっかりと中華街はあるのね。かなりおかしな味の中華でしたが。そして、ブエノスアイレスではビルの壁一面に描かれたエマ・ペロンのペイントを見ると感慨深いものでした。

    モロッコのマラケシュも印象深い土地だったな。パリからは2時間なので、まだまだアフリカ大陸でもディープ感はありませんが、空港でアザーンを聞くと何故か旅の情緒は高まるんだな。

    チュニスは地元民との楽しい交流があったんだな。楽しい人達でした。ジャスミンの花が至るところで売られていたり。自分たちの旅行後、6ケ月後にはこの地でアラブの春というかジャスミン革命が勃発するとは思いませんでした。

    アラブの春では思い出すのは、その時によくテレビに出ていた場所がエジプトのカイロのタハリール広場でした。実際に見たタハリール広場はただの大きなロータリーじやないか

    とにかく、若者が旅に行く初期に地の果て(自分にとってはブエノスアイレスかな)に行くとその後の旅行がますます楽しくなるよ、というお話しだったのです。寂寥感というか孤独を楽しめるようになって初めて旅の実感が分かろうというものです。

  • 沢木耕太郎さんの見知らぬ土地でのおいしいお店の見つけ方、旅の師匠には頭が上がりません

    沢木耕太郎さんの見知らぬ土地でのおいしいお店の見つけ方、旅の師匠には頭が上がりません

    今日は福岡離陸前の福岡空港で本当に最後に食べた博多ラーメンのことを書こうと思ったのですが、沢木耕太郎さんの非常によい文章を読んだので、先にそれを紹介したいと思います。

    毎年、12月24日の深夜はJ-WAVEであの沢木耕太郎さんの「沢木耕太郎~MIDNIGHT EXPRESS 天涯へ~」という番組が3時間ほどあるのです。

    自分的な楽しみは、丁度、年末年始に海外に向かう成田行きのバスの中でこの録音した番組を聴きながら、行く年を惜しみながら聞くのが楽しみなのです。

    そんな番組ですが、今年も同様に番組オンエアーの数日前から沢木さんからのeメール日記というものが届くのです。

    今年の4回目(12月21日)はこんな文章があったのです。今年、山形に行かれた時の逸話だそうです。

    幾筋か通りを歩き、居酒屋や食堂を物色したが、これと思える店がなかなか見つからない。しかし、私はこういう状況が決して嫌いではないのだ。
    夜、まったく知らない街に着き、手頃な飲み屋や食堂を探して通りをうろつく。その結果、おいしく食べたり気分よく飲むことのできる店が見つかれば「ラッキー!」だし、失敗したとしても「残念!」と思うだけだ。
    ただ、私は、こういう店の探し方においてはかなり経験を積んでおり、勝率はかなり高い
    そのとき、通りの角に立っていた若い男性に声を掛けられた。
    「キャバクラをお探しですか」
    実は、それを待っていたようなところもあったのだ。
    「いや、今日はキャバクラはいいんだけど、この近くにおいしい酒と肴にありつける店はないかな」
    私が訊き返すと、若者は最初はちょっとびっくりしたようだったが、次の瞬間には真剣に考えるような様子を見せ、こう言った。
    「この次の角を曲がると、左側の建物に階段があって、その二階にサカナイチという店があります。」
    サカナイチ? 魚に市と書くの?
    「いえ、酒に菜の花の菜に一、二の一です」
    「酒菜一か」
    「ええ、ちょっとわかりにくいんですけど、お客さんには、そこがいいんじゃないでしょうか。日本酒が揃っています」
    「ありがとう。行ってみるよ」
    「お気をつけて」
    実に気持のよいやり取りだった。
    そして、私は若者の言葉を疑うことなくその店に行くと、看板になる直前まで、おいしい山形の料理を食べ、気分よく山形の酒を飲むことができたのだった。

    自分の経験ではこんな形で見知らぬ土地でお店を紹介してもらったことはないのですが、これもありですね。街で呼び込みをしている人は地元の人でしょうから、こんな形で相談すると金髪の若い子も親身になってお店を紹介してくれると思った次第です。

    さすがに旅の達人は違います。恐れ入りました。“深夜特急の男”、恐るべし

    沢木耕太郎さんはベトナムの黒マスク着用は女性のファッション説、ISの戦闘員みたい





  • 宮本亜門さんいわく、インドは誰かに導かれていくところ、バナラシはインドの混沌、ここに極めり

    宮本亜門さんいわく、インドは誰かに導かれていくところ、バナラシはインドの混沌、ここに極めり

    こんなときだから、海外の旅の話しをしようと思います。

    先週2021年3月7日の日本経済新聞の朝刊に宮本亜門さんのエッセイでハタッと気付かされたのです。その宮本亜門さんのエッセイの要旨はこんな感じだったと思います。

    インドは誰かに導かれて行くところという話を、自分は画家の横尾忠則さんから聞いた。自分がインドを訪問したきっかけは、横尾さんが是非行きなさいと背中を押してくれて、訪れたとのことです。

    そして、その横尾忠則さんにインドに行きなさいといってくれたのが、かの三島由紀夫さんだというのです。

    そして、皆さん(読者)も是非インドに行きなさいと私が導きます。

    まあ、こんなエッセイだったと思うのです。実に興味深い話しです。

    自分の場合の初インドは2009年の夏だった。この旅は誰かが導いてくれたわけではないのですが、自分の好奇心からの旅だったのです。家族4人で10日間ぐらいの旅だったのです。

    確か訪れたところは、ムンバイ、デリー、タージマハール、そしてあのガンジス川の沐浴で有名なバナラシです。一度はあのバナラシでガンジス川の沐浴をこの目で見てみたかったのです。そして、すべて個人で手配して旅立ったのです。

    バナラシの第一印象は、まあ埃っぽくて、小さな小道がたくさんあり、一見客にはかなりハードルが高いんだな。その小道に平気で大きな牛も入り混じり、一言で言えば“インドの混沌ここに極めり”といえるものです。

    当時の写真を見ても、このバラナシの街角の写真は埃っぽい写真なのです。

    やっとのことで、迷いながらも小道を抜けると、写真などでよく見かけるガンジス川の川辺に出たのでした。川辺では何箇所も火葬が行われています。沐浴する人、混沌とした川辺の景色です。

    家族で小舟を一層チャーターして15分ぐらいガンジス川に小舟を浮かべたのでした。

    バナラシでのホテルは確か「ホリディイン」だったと思います。ホテルに帰れば、外の喧騒と暑さとは無縁の世界です。本当にクーラーが効かないホテルだったら、大変だったと思います。今思い出しても、バナラシの混沌は強烈な思い出です。

    それからインドからは足が遠のいていましたが、2019年3月に家族を連れてある目的のために、コルカタ(カルカッタ)に赴いたのが2回目のインド訪問です。

    目的とは、故マザー・テレサのところで奉仕活動を行うことだったのです。

    コルカタの印象は、大きな都市ですが、都市版のバナラシという印象を受けたのでした。バナラシほど埃っぽい街だと思いませんが、ここも“インドの混沌、ここに極めり”という街でした。コルカタでは、「ケニルワースホテル」というホテルに宿泊したのでした。

    本当にインドではできるだけ良いホテルに泊まることをおすすめします。

    そんな自分が感じたインドの印象です。

    混沌の町、コルカタ来て、感じたこと。なぜ、ドミニク・ラピエールは「歓喜の街」と呼んだのか?