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  • 上岡龍太郎の金言、「金のあるうちに人生のインフラ整備しとくんです」

    上岡龍太郎の金言、「金のあるうちに人生のインフラ整備しとくんです」

    本日は先日亡くなられた上岡龍太郎さんの言葉で非常に参考になるというか、自分でも納得できる言葉があったので、自分の備忘録も兼ねてブログ記事にしたいと思います。

    上岡さんは1942年3月生まれですので、81歳で亡くなられたということになりますね。自分はもちろん名前は知っていたのですが、関西の人間でもないし、関西に住んだこともないのでその絶大な人気はあまり知らないのですが、(汗)

    その言葉というか話しはこんなものです。

    老後のお金、そらゼロはダメでしょう。でも周りを見るとね、ほとんどの人は、たのしい隠居暮らしができるんやないかと思いますよ

    服なんかは、働いているうちに、しっかりしたもんを買こうといたらええんです。スーツでも着物でも、ヒトツ、ええもん持ってたら、何年でも着られる。車なんか、もう15年乗っていますが、まだ5万キロしか走ってないしね。お金のあるうちに人生のインフラ整備しとくんです

    家は買わんほうがいいと思う。苦労して建てて固定資産税払うてたら、国に賃料払ているのと一緒です。しんどいローン組んで、銀行のもんで終わる人も多いし。

    食べもんは、粗食ほど、うまいもんはないですよ。ご飯とみそ汁、干物に漬物。計算すると一日500円ですむ。現役のころから、ご飯さえ食べられたら、というのがベースにありましたんでね。

    仕事に未練がないのは、幸せなことに、もう満喫させてもらったという気持ちがあるんです。

    なかなかその境地に達した人が考えうる真理かな。特に、「お金のあるうちに人生のインフラ整備しとくんです」という言葉には痺れるね。自分の場合でも、現役時代に家具のよいものを調達していたので、楽しい生活が送られるんだね。イームズのラウンジチェア(いわゆるビリーワイルダーチェアのこと)やフリッツ・ハンセン、ウィルクハーンの椅子などは現役時代ではないと思い切って購入できないものね。

    スーツについては体型も変わるのでそんなに永くは着れないと思いますが、着物は着れるんだろうね。生地がよければ高級品として見栄えよくね。

    家の部分については基本同意なのですが、やっぱり生活形態や家族構成も時間の経過とともに変わっていくので、賃貸の方が現代の生活には合っているのかな。自分の場合は、自分の住む住居は賃貸、その替わりに投資用物件を保有してバランスをとっています

    インフレに立ち向かうには、不動産なんかも保有しておく必要があるのでね。

    上岡龍太郎、ただの芸人ではないね、引き際の見事さはこんな考え方を持っていた人だからできたんだろうね。感心しました。

    賃貸か持ち家かの神学論争に終止符、解決方法はこれしかないよね、黄金の羽根



  • “保守の女神”アイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」を完読、個人主義と能力主義、ここに極まり、必読だよ

    “保守の女神”アイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」を完読、個人主義と能力主義、ここに極まり、必読だよ

    自分の蔵書の中で一番読みたかった本、アイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」を毎日1時間強の読書時間確保で約2ケ月かけて読み切った。大変充実した2ケ月だった。

    この本は読んでいない人にはチンプンカンプンでしょうが、一言で言えばこの文言に付きますね。小説の中でも全編にわたって出てくるフレーズ、「ジョン・ゴールトは誰だろう?」という意味不明の言葉に尽きるんだな。

    自分の「肩をすくめるアトラス」は2004年10月6日刊の第1刷版です。全1270ページの2段組の文字びっしりです。弁当箱を2つ重ねたより厚い本です。

    訳者(脇坂あゆみ)あとがきにも書かれているように、

    ワシントン・ポストのウィリアム・パワーズ記者は、1996年の特集記事のなかで、「彼女の思想は本質的に我々の思想なのであり、われわれ現代アメリカ人の行きかたを形づくってきた思想であるともいえる」と述べている。

    むろんこれがアメリカの主流だといえば激しく異をとなえるアメリカ人のほうが多いはずだ。とりわけ宗教観についてのランドの味方はいまも異端中の異端であり、敬虔なアメリカ人の多くがランドを敬遠する一因ともなっている。

    それでも徹底した個人主義と能力主義、小さな政府志向などはアメリカ的前提の核であることにかわりはない

    ランドの思想はその源泉ではなかったにしても、アメリカを見つめる外国人にひとつの切り口を提供してくれる。

    では何故、日本では政治家や行政機関の要人や大学教授(いわゆる政府の諮問機関などに入っている学者)などの人たちが、本書を愛読書なとど取り上げたことは自分は一度も見たことはないのです。

    「肩をすくめるアトラス」では能力のある経営者などを徹底的に締め上げ方をいわゆる“たかりや”として糾弾している書だからでしよう。大統領さえも“たかりや”です。小説はその対比の対立間で話しが進んでいくのです。

    そうとすれば、日本の政治家などはランドいわく、全員たかりやです。そんな危険な思想の「肩をすくめるアトラス」を誰も愛読書などど公言できたものではありません。そもそも読んだことがない人も99%でしょう。

    アマゾンの紹介文です。

    アメリカの「保守の女神」と言われるアイン・ランドの最高傑作。元連邦準備制度理事長のアラン・グリーンスパンら当時の若者に大きな影響を与え、米国議会図書館の調査で「聖書に次いでアメリカ人が最も大きな影響を受けた本」とされた。

    あらすじはこんな感じです。

    タッガート大陸横断鉄道の副社長ダグニーは、政治的駆け引きに明け暮れる社長で兄のジムと対立しながら鉄道を経営している。成長著しいコロラドの路線の再建のため、彼女は起業家のリアーデンが十年をかけて開発した画期的なメタルを採用し、新線を完成させる。だが企業活動を阻む規制が強まるなか、実業家たちが次々と姿を消していく

    だけど、最後の最後の方でのジョン・ゴールトの格調高いラジオ演説の長さにはまいったな。あまりにも高尚で比喩が多すぎて自分にはあまり理解できず、文字を追っているだけになりました。だけど、これがアイン・ランドの本当に言いたいことなんだろうな

    究極の個人主義と能力主義を表すリバタリアニズム(個人主義的自由主義)の本質を知りたいなら、本家本元のランドの「肩をすくめるアトラス」を読むしかないと思います。

    自分が今までの人生で読んだ中でも強烈な印象の本でした。ベーシックインカムなんでくそくらえぐらいの意見をいう日本の政治家はいないものかな。

    小説の中ではアイン・ランドはダクニー・タッカードとジョン・ゴールドの2人を通じて自分を投影しているのかな。

    次はランドの「水源」の前に、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」に挑みます

    (追記)

    謎めいた言葉、「ジョン・ゴールトは誰だろう?」。

    それはアイン・ランド本人なのかな、世界を救う救世主として

    ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読了、現代世界文学の最高傑作というが自分には理解できず



  • ビターレの「リゾットは北イタリア人にとってのパスタなの」は至極名言。最も大切なコツは、全員そろってから作ること

    ビターレの「リゾットは北イタリア人にとってのパスタなの」は至極名言。最も大切なコツは、全員そろってから作ること

    東京大学の経済学者の先生で松井 彰彦(まつい あきひこ)さんという方がいらっしゃいます。専門はゲーム理論だそうです。

    その人は今、日経新聞の夕刊の1面に「あすへの話題」というエッセイの書き手なのですが、その2019年6月6日の紙面に面白いエッセイを書いていました。

    タイトルは「リゾット」についてです。エッセイのタイトルもそのままです。

    僕は三度の飯は大好きだ。専ら食するほうだが、たまに作ることもある。定番は北イタリアの家庭料理、リゾット。これだと、あまりお米が好きでない娘もよく食べる。

    僕がリゾットを作るときのバイブルにしているのが、ジョイエッタ・ビターレの「RISO(お米料理)」という本だ。

    「南イタリアはパスタだけど、北はお米。そう、お米は私たちにとってのパスタなの。

    「リゾットは難しい料理と言われているけど、難しくないわよ。もちろん、ちょっとしたコツを守ればね」とビターレのコツはレシピの他に8つもある。

    具材は最小限にして、パルメザン・チーズを最後に混ぜ込むのがミラノ風だ。これがうまい。これにワインがあれば言うことなしだ。

    そうそう、最も大切なコツは、全員そろってから作り始め、アツアツを供することらしい。

    このエッセイを見て、レシピどおりリゾットを作って食べたくなり、このジョイエッタ・ビターレの「RISO」という本を探したところ、日本語版は残念ながらありませんでした。

    現在、英語版のみです。

    本のタイトルの副題は「まだ明らかにされていない北イタリアのお米料理」とでも訳せばよいのでしょうか。

    そして、Kindle版を購入して本を拝見したところ、144ページの大著です。

    内容は、スープ料理に始まり、次がサラダ、リゾット、デザートと続きます。一番多いレシピがリゾットです。確かに40ぐらいのリゾットのレシピが並びます。

    ただ、残念なのは、出来上がりのお皿の写真がまったくないところかな。かなり想像を働かせないといけないですね。

    まあ、確かにパスタもステーキもない料理本です。タイトルどおり、「RISO(お米料理)」のイタリア料理本も大変珍しいですね。

    エッセイにも書かれている通り、最後にパルメザン・チーズをすり下ろさないとダメなんだな。我が家には、チーズおろし器がありません。

    また、アマゾンでポチッしました。こうなったら、パルメザンチーズの塊も購入しないと様になりません。また、痛い出費ですね。

    だけど、だれがこの本の日本語訳を出してくれないかな。それと出来上がりの写真もつけてくれて。

    しかし、このビターレの「お米は私たち(北イタリア人)にとってのパスタなの」は至極名言だなと感心した次第です。

    こんなことを書いていると、また、イタリアに行きたくなりますね。