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  • ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読了、現代世界文学の最高傑作というが自分には理解できず

    ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読了、現代世界文学の最高傑作というが自分には理解できず

    ホーチミンの旅行記は2回ほど小休止です。

    今日の話題は自分の中ではこの40年間で是非やりとげたいと思っていたことを昨日に遂に達成したのです。

    あのG・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を最後まで読み切ったのでした。(かなり暇がないとできないね)自分にとっては大きな一歩だったんだな。(月面着陸の言葉みたい)

    自分の保有している版は、1972年5月10日に発行されその20刷1984年7月15日発行の本なのです。自分が若かりし頃、某公共放送に勤務しその初赴任地の鹿児島の天文館の書店で購入したのでした。以後、引っ越も何回もし、その都度連れ回し、本棚のこやしになっていたものです。いつか読みたいなと。その日は本当にくるのかと。

    この本の帯がすごいです。“孤独、栄光、悲劇がうずまく現代世界文学の最高傑作”。本棚にこの本があるだけで格が上がるというか重みが違うんだな。(ミーハーだね)

    マルケスは1982年度ノーベル文学賞を受賞しています。日本での出版元の新潮社での紹介文です。

    蜃気楼の村マコンドの草創、隆盛、衰退、そして廃墟と化すまでのめくるめく百年を通じて、村の開拓者一族ブエンディア家の誰彼に受け継がれた孤独の運命は、絶望と希望、苦悩と悦楽、現実と幻想、死と生をことごとく呑み尽くし……。1967年に発表され、20世紀後半の世界文学を力強く牽引した怒濤の人間劇場が、今、再び幕を開ける

    というわけで、約ひと月半かけて全文を読みました。読後の感想ですか?

    はっきり言って、よくわかりませんでした。だけど、すごいものを読んだなという感想は残った。マコンドという町が誕生して100年後に滅亡するという話で、その中でラテンアメリカ特有の寓話がたくさん挿入されているのはわかります。

    だけど、これを一度読んだだけで20世紀後半の世界文学の最高傑作と言える読み込みができる読者はすごいね。そんな人いるのかな。

    ただ、自分なりに思ったのは、筋のあるものや主題があるものだけを書くだけが小説ではないということかな。わけの分からないことを書くのも小説かな。

    マルケスは何が言いたかったんだろうか?結局、「人の人生はいろんな出来事が起こるが、つまりは蜃気楼のようなもんだよ」、ということなのかな。単純すぎか。

    それにしても約40年間温めていた本を読んだ爽快感はあるな。あの、マルケスの「百年の孤独」を本当に読んだんだよと。人に吹聴したいな。

    今年はあのアイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」を読み、続いてマルケスの「百年の孤独」を読んだのです。自分を褒めたいな。(何か、違う方に向かっている気もするが)

    映画であれば、ゴットファザーとディア・ハンターとヴィスコンティのルートヴィッヒを立て続けに見たぐらいの重量感です。

    話しは突然変わりますが、自分がこの10年で読んだ一番感銘を受けた日本人作家の小説は西加奈子ちゃんの「サラバ」だな。この本で小説というものの力を知りました。

    また5年後のマルケスの「百年の孤独」を再読したいと思いますが、次は家系図を丁寧に書きながら読んでみたいね。この気持ち、読んだ人なら分かると思います。

    マルケスの「百年の孤独」おすすめします。なんたって、20世紀後半の世界文学の最高傑作ですよ。人間、たまには訳のわかならいものと対峙しないと進歩しないと思うんだな。

    塩野七生のエッセイを読んで自分の旅でチュニスのことを思い出した、行ける時に行かないとね



  • “保守の女神”アイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」を完読、個人主義と能力主義、ここに極まり、必読だよ

    “保守の女神”アイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」を完読、個人主義と能力主義、ここに極まり、必読だよ

    自分の蔵書の中で一番読みたかった本、アイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」を毎日1時間強の読書時間確保で約2ケ月かけて読み切った。大変充実した2ケ月だった。

    この本は読んでいない人にはチンプンカンプンでしょうが、一言で言えばこの文言に付きますね。小説の中でも全編にわたって出てくるフレーズ、「ジョン・ゴールトは誰だろう?」という意味不明の言葉に尽きるんだな。

    自分の「肩をすくめるアトラス」は2004年10月6日刊の第1刷版です。全1270ページの2段組の文字びっしりです。弁当箱を2つ重ねたより厚い本です。

    訳者(脇坂あゆみ)あとがきにも書かれているように、

    ワシントン・ポストのウィリアム・パワーズ記者は、1996年の特集記事のなかで、「彼女の思想は本質的に我々の思想なのであり、われわれ現代アメリカ人の行きかたを形づくってきた思想であるともいえる」と述べている。

    むろんこれがアメリカの主流だといえば激しく異をとなえるアメリカ人のほうが多いはずだ。とりわけ宗教観についてのランドの味方はいまも異端中の異端であり、敬虔なアメリカ人の多くがランドを敬遠する一因ともなっている。

    それでも徹底した個人主義と能力主義、小さな政府志向などはアメリカ的前提の核であることにかわりはない

    ランドの思想はその源泉ではなかったにしても、アメリカを見つめる外国人にひとつの切り口を提供してくれる。

    では何故、日本では政治家や行政機関の要人や大学教授(いわゆる政府の諮問機関などに入っている学者)などの人たちが、本書を愛読書なとど取り上げたことは自分は一度も見たことはないのです。

    「肩をすくめるアトラス」では能力のある経営者などを徹底的に締め上げ方をいわゆる“たかりや”として糾弾している書だからでしよう。大統領さえも“たかりや”です。小説はその対比の対立間で話しが進んでいくのです。

    そうとすれば、日本の政治家などはランドいわく、全員たかりやです。そんな危険な思想の「肩をすくめるアトラス」を誰も愛読書などど公言できたものではありません。そもそも読んだことがない人も99%でしょう。

    アマゾンの紹介文です。

    アメリカの「保守の女神」と言われるアイン・ランドの最高傑作。元連邦準備制度理事長のアラン・グリーンスパンら当時の若者に大きな影響を与え、米国議会図書館の調査で「聖書に次いでアメリカ人が最も大きな影響を受けた本」とされた。

    あらすじはこんな感じです。

    タッガート大陸横断鉄道の副社長ダグニーは、政治的駆け引きに明け暮れる社長で兄のジムと対立しながら鉄道を経営している。成長著しいコロラドの路線の再建のため、彼女は起業家のリアーデンが十年をかけて開発した画期的なメタルを採用し、新線を完成させる。だが企業活動を阻む規制が強まるなか、実業家たちが次々と姿を消していく

    だけど、最後の最後の方でのジョン・ゴールトの格調高いラジオ演説の長さにはまいったな。あまりにも高尚で比喩が多すぎて自分にはあまり理解できず、文字を追っているだけになりました。だけど、これがアイン・ランドの本当に言いたいことなんだろうな

    究極の個人主義と能力主義を表すリバタリアニズム(個人主義的自由主義)の本質を知りたいなら、本家本元のランドの「肩をすくめるアトラス」を読むしかないと思います。

    自分が今までの人生で読んだ中でも強烈な印象の本でした。ベーシックインカムなんでくそくらえぐらいの意見をいう日本の政治家はいないものかな。

    小説の中ではアイン・ランドはダクニー・タッカードとジョン・ゴールドの2人を通じて自分を投影しているのかな。

    次はランドの「水源」の前に、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」に挑みます

    (追記)

    謎めいた言葉、「ジョン・ゴールトは誰だろう?」。

    それはアイン・ランド本人なのかな、世界を救う救世主として

    ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読了、現代世界文学の最高傑作というが自分には理解できず



  • ボス亡き跡の組織。「鎌倉殿の13人」と安倍派の状況まったく同じだね、人間成長しないね

    ボス亡き跡の組織。「鎌倉殿の13人」と安倍派の状況まったく同じだね、人間成長しないね

    昨日、源頼朝亡き後の「鎌倉殿の13人」を観たのでした。ブログでは政治的な話しはタブーと思っていたのですが、自分は山口県の萩出身ということもあり、安倍晋三さん亡き後の安倍派について思いを巡らせたのです。

    自分は決して、安倍シンパでも自民シンパでもないのですが。話しは横道にそれますが、現在読んでいるアイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」は凄い本だね。政治家でこの本を読んだことのある人はいるのかな。

    だけど本日の話しは、鎌倉殿の13人と安倍派のことです。

    どちらも大ボスが突然亡くなると、無能な小ボスたちが狭い了見で立ち回るのはいつの時代でも同じですね。三谷幸喜に操られているのかな。

    今、安倍派の次にドンに名前が上がっているのは、下村・荻生田・西村・世耕・塩谷・松野といったあたりでしょうか。自分は直接には誰も知りませんが(当たり前で、だからこんな好き勝手なことが書けるのですが)、どの人物も顔を見ても小粒で悪人面で、了見が狭そうだな、と率直に思うのです。

    特に、下村・荻生田・西村・世耕なんてセコそうだな。いち早く、メディアに露出して、自分のことをアピールするもんな。昔の世から、ボス亡き後は、早く動くべからず、数年スパンでじっとするということを学んでいないね、このバカどもは。本当に小学校に行って勉強しているのかね。司馬遼太郎先生の本を読んでいないのかね。

    また話しは変わりますが、官房長官の松野っていう人、インポテンツじゃないの。テレビで見る限り、あの喜怒哀楽のなさは逆にすごいね。本当に能力あるのかな。

    あんな変なメガネをかけてあのしゃべりで官房長官が務まるなら、自分でもできるな。亡き安倍さんは自分の派閥の後継を誰にするか決めていなかったと言われますが、側近がこんな人物だらけでは決めようにも決められないのが、自然の摂理です。どれも小悪人で、トップの器ではないな。荻生田さんに目をかけていたという話しも聞きますが、姿がデブすぎて、ダメだな。特にその悪人面は変えないとダメだと思う。韓国に行って整形すべし。

    先程来言っているとおり、静かにするべしということを考えれば、何もしゃべらない元首相の菅義偉はすごいね。人物的には好きではありませんが

    跡目の継ぎ方はゴットファーザーを観て勉強した方がいいよ。

    自分は最初に触れたように山口は萩の出身なのです。萩の学生時代に聞いた話しです。安倍晋三さんのお父さんは安倍晋太郎さんです。その安倍晋太郎の幼少期、遊びで何かを遠くに投げて友達を犬のように追わせて取りに行くという遊びをしていたという話しを聞いたものでした。

    安倍 昭恵(あべ あきえ)さんにも直接会ったことはありませんが、自分の親族が聖心の初等科から大学まで通っていた経験からすると、聖心の大学に行けなかったのは相当なオテンバさん(もっと下品な言葉で言ってもいいのでしょうが)だったんだろうな。聖心はそんな学校です。

    とりとめもない政治的な話しになりましたが、「鎌倉殿の13日人」を観て、アルコールを飲みながら、勢いにまかせて書いたブログでした。