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  • 安部公房原作の映画「箱男」はやっぱり変態系だった、この世界観わかる人はエライ

    安部公房原作の映画「箱男」はやっぱり変態系だった、この世界観わかる人はエライ

    2024年8月29日(木)

    ニュースは台風一色の様相ですが、自分のブログは呑気に映画のお話しをね。

    昨日観た映画はこちら。

    • 「箱男」

    原作が安部公房と聞くだけで難解で変な映画なんだろうと思っていたのですが、男優が永瀬正敏・浅野忠信・佐藤浩市の揃い踏みで、予告編でも面白そうだったのでね。まあ、簡単に言うと怖いもの見たさだね。

    話しはこんな感じ。

    作家・安部公房が1973年に発表した同名長編小説を、「狂い咲きサンダーロード」「蜜のあわれ」などの鬼才・石井岳龍監督が映画化

    ダンボールを頭からすっぽりと被った姿で都市をさまよい、覗き窓から世界を覗いて妄想をノートに記述する「箱男」。それは人間が望む最終形態であり、すべてから完全に解き放たれた存在だった。カメラマンの“わたし”は街で見かけた箱男に心を奪われ、自らもダンボールを被って箱男として生きることに。そんな彼に、数々の試練と危険が襲いかかる。

    1997年に映画の製作が決定したもののクランクイン直前に撮影が頓挫してしまった幻の企画が、27年の時を経て実現に至った。27年前の企画でも主演予定だった永瀬正敏が“わたし”を演じ、“わたし”をつけ狙って箱男の存在を乗っ取ろうとするニセ医者役で浅野忠信、箱男を完全犯罪に利用しようともくろむ軍医役で佐藤浩市、“わたし”を誘惑する謎の女・葉子役で白本彩奈が共演。

    2024年製作/120分/PG12/日本

    まず驚いたのが、日比谷のシャンテで午前11時の回で観たのですが、お客さんがかなりいたということ。みんな好きだね、自分もそうか

    観ての率直な感想。変な映画、変態系だよね、原作も含め。自分は安部公房の小説は読んだことはありませんが、ガルシア=マルケスの世界観と近いとか。

    結局、箱男で何か言いたいんだろう、“箱男はあなた”と言われてもね。箱の中に世界が凝縮されていて、それを打ち破れて自分の世界があるとか

    まあ、変な世界観だよね、天才と狂人は紙一重か。あの病院の名前も阿部病院だもね。

    映画としてはフェリーニとかタルコフスキーだよね、はたまた鈴木清順の世界かな。だけど最後まで席を立った人はいなかったので、みんなこんなヨーロッパ的な難解な映画好きだねと、素直に思いました。

    やっぱり変だよね、自分は今でもマルケスの「百年の孤独」がすごいのか、理解できません。こんな人、多いのでは。それ以上に、安部公房は段ボール箱だもんね

    終われば、麻布十番の「新福菜館」へ。1週間に1回食べないと、カラータイマーが鳴っているウルトラマン状態です。

    14時前に到着。5名待ち。今日も持ち帰り用のチャーシュー(小)(500円)を確保です。

    天候といい、変な箱男映画といい、ヘンテコな日だったね。

    ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読了、現代世界文学の最高傑作というが自分には理解できず

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  • トルコ映画「葬送のカーネーション」を観て、自分の哲学的素養のなさを知る

    トルコ映画「葬送のカーネーション」を観て、自分の哲学的素養のなさを知る

    2024年1月16日(火)

    今日もまずは映画の話しからです。本日は実に難解な映画を観たよ、こんな難しい映画、久しぶりだよね。昔観た「旅芸人の記録」のような映画だったよ。

    題名は、

    • 「葬送のカーネーション」

    トルコとベルギーの合作ですね。あらすじはこんな感じ。

    圧倒的な映像が静かに問いかける、現代トルコ映画の到達点 リアリズムと虚構が交差する、現代社会の新しい寓話

    荒涼とした冬景色のトルコ南東部。年老いたムサは、亡き妻の遺体を故郷の地に埋葬するという約束を守るため、棺とともに旅をしている。

    紛争の続く場所へ帰りたくない孫娘のハリメだったが、親を亡くし、仕方なく一緒に歩いている。亡き妻とともに故郷への帰還を渇望するムサ。旅で出会う様々な人たちから、まるで神の啓示のような[生きる言葉]を授かりながら進んでゆく。

    国境、生と死、過去と未来、自己と他者、棺をかつぐ祖父と孫娘の心の融和。トルコから届いた3人のおとぎ話は、境界線の先に小さな光を灯す。

    監督はベキル・ビュルビュルという人。この映画の主人公はまさに棺桶とお祖父ちゃんとその孫娘です。ひたすらトルコの荒涼として道を棺桶を引きずりながら歩いていきます

    道中、特に何も起こらずにひたすら荒涼とした地が描かれます。最初と最後の祝祭のシーン。意味深な映像です。

    観終わって監督は何を訴えたかったんだろうかと考えさせられます。映画の終わりにも何もも語られないのでね。

    国境線で不条理にしばられる現在の国際情勢、クルドの問題(これは想像)、トルコの抱える問題、そんなことではなくて何か人間の不条理を寓話的に描いているのかな

    自分の頭では、あまりにも哲学的でわからない映画でした。たまには訳のわからないものを観ること大事。それと驚いたことに、こんな難解な映画でもお客さんが結構はいっているのには驚いたね。みんな好きだね。

    いろいろと書きましたが、おすすめできる映画です。心を空っぽにして映画を観て下さい。あなたなら、監督の訴えたいことがわかるかも

    だけど、現代の日本ではこんな映画を製作したいと提案しても、予算がつかないだろうね。恐るべし、トルコ映画です。

    終われば、いつものように日本橋のラーメン店「ますたに」へ。

    難解な映画で固まった頭をほぐすにはまずはビールだね

    今日は少し興奮しはていたせいで、ラーメンの写真は失念です。

    本日も勉強にさせていただいた1日となりました。

    (2021年10月ターキッシュエアラインズ搭乗記199便)羽田-インタンブールのビジネスクラス、コロナ影響大

     



  • 「午前十時の映画祭」、映画館の大画面でフェリーニの屈指の名作「8 1/2」を観て、改めて尊敬し直した、巨匠に対して失礼かな?

    「午前十時の映画祭」、映画館の大画面でフェリーニの屈指の名作「8 1/2」を観て、改めて尊敬し直した、巨匠に対して失礼かな?

    丁度2日前に「午前十時の映画祭」でフェデリコ・フェリーニの名作「8 1/2」を日本橋の“TOHOシネマズ”の大きなスクリーンで初めて観たのでした。

    DVDでは自宅で2回ほど観たことはあるのですが。いつ観てもフェリーニは難解といういイメージしかなかったのですが、この歳になって映画も沢山観てきて、人生経験もたくさんしてきたので、初めてこの「8 1/2」を堪能できました。

    物語はこんな感じです。釈迦に説法かもわかりませんが。

    43才の映画監督のグイド(マルチェロ・マストロヤンニ)は、新作の撮影に入っているはずが構想はさっぱりまとまらない。体調を崩した彼は、医者から薦められた湯治場にやって来た。妻ルイザ(アヌーク・エーメ)との関係は冷え切っており、カルラ(サンドラ・ミーロ)と愛人関係にあったが、今はそれもわずらわしくなっていた。湯治場で見かけた美しい女性(クラウディア・カルディナーレ)に一瞬心ときめいたが、それも空しい幻影に過ぎずー。

    映画の解説としてはこんな解説が付いています。

    「混沌が映画だ。人生は祭りだ」―スランプに苦しむ映画監督のイマジネーションが自由奔放に繰り広げられる巨匠フェリーニの野心作にして代表作。『8 1/2』とは、音楽作品が作曲番号で呼ばれるように、作品番号で付けられた題名。アカデミー賞では外国語映画賞と衣装デザイン賞(白黒)、モスクワ映画祭ではグランプリを受賞した

    改めて思ったのは、最後の20分ぐらいで出てくるクラウディア・カルディナーレが女優陣の中で一番おいしいところを持っていくのね、と素直に思ったのでした。やっぱり当時のイタリア随一のミューズには勝てないということでしょうか。ヴィスコンティの山猫も彼女だしね。

    終わりの方でのセリフも良いね。自分的には「混沌が映画だ。人生は祭りだ」より「投資家に取っては映画製作での失敗はただの損失、監督にとっては失敗は監督としての終わりの烙印」云々のセリフには痺れたね。何故、痺れたかというと、マイケル・チミノの「天国の門」を思い出したからです。最後のシーンで道化師が出てくるのは意味深だね。“人生は祭りで、つまるところ道化だよ”ということなのかな。

    最後の方のハーレムのシーンはなくてもよいのでは。何か意味があるのかな。

    改めて思ったのは、映画の冒頭シーンは監督の才能がよく出ているね。自分的にはヴィスコンティとフェリーニを比べれば、今までは圧倒的にあの廃退美のヴィスコンティが好きだったのですが、今回、フェリーニを見直しました。巨匠に対して失礼か!

    マルチェロ・マストロヤンニはニヤけていい男だね!イタリア男、ここに極まりだね。

  • ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読了、現代世界文学の最高傑作というが自分には理解できず

    ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読了、現代世界文学の最高傑作というが自分には理解できず

    ホーチミンの旅行記は2回ほど小休止です。

    今日の話題は自分の中ではこの40年間で是非やりとげたいと思っていたことを昨日に遂に達成したのです。

    あのG・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を最後まで読み切ったのでした。(かなり暇がないとできないね)自分にとっては大きな一歩だったんだな。(月面着陸の言葉みたい)

    自分の保有している版は、1972年5月10日に発行されその20刷1984年7月15日発行の本なのです。自分が若かりし頃、某公共放送に勤務しその初赴任地の鹿児島の天文館の書店で購入したのでした。以後、引っ越も何回もし、その都度連れ回し、本棚のこやしになっていたものです。いつか読みたいなと。その日は本当にくるのかと。

    この本の帯がすごいです。“孤独、栄光、悲劇がうずまく現代世界文学の最高傑作”。本棚にこの本があるだけで格が上がるというか重みが違うんだな。(ミーハーだね)

    マルケスは1982年度ノーベル文学賞を受賞しています。日本での出版元の新潮社での紹介文です。

    蜃気楼の村マコンドの草創、隆盛、衰退、そして廃墟と化すまでのめくるめく百年を通じて、村の開拓者一族ブエンディア家の誰彼に受け継がれた孤独の運命は、絶望と希望、苦悩と悦楽、現実と幻想、死と生をことごとく呑み尽くし……。1967年に発表され、20世紀後半の世界文学を力強く牽引した怒濤の人間劇場が、今、再び幕を開ける

    というわけで、約ひと月半かけて全文を読みました。読後の感想ですか?

    はっきり言って、よくわかりませんでした。だけど、すごいものを読んだなという感想は残った。マコンドという町が誕生して100年後に滅亡するという話で、その中でラテンアメリカ特有の寓話がたくさん挿入されているのはわかります。

    だけど、これを一度読んだだけで20世紀後半の世界文学の最高傑作と言える読み込みができる読者はすごいね。そんな人いるのかな。

    ただ、自分なりに思ったのは、筋のあるものや主題があるものだけを書くだけが小説ではないということかな。わけの分からないことを書くのも小説かな。

    マルケスは何が言いたかったんだろうか?結局、「人の人生はいろんな出来事が起こるが、つまりは蜃気楼のようなもんだよ」、ということなのかな。単純すぎか。

    それにしても約40年間温めていた本を読んだ爽快感はあるな。あの、マルケスの「百年の孤独」を本当に読んだんだよと。人に吹聴したいな。

    今年はあのアイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」を読み、続いてマルケスの「百年の孤独」を読んだのです。自分を褒めたいな。(何か、違う方に向かっている気もするが)

    映画であれば、ゴットファザーとディア・ハンターとヴィスコンティのルートヴィッヒを立て続けに見たぐらいの重量感です。

    話しは突然変わりますが、自分がこの10年で読んだ一番感銘を受けた日本人作家の小説は西加奈子ちゃんの「サラバ」だな。この本で小説というものの力を知りました。

    また5年後のマルケスの「百年の孤独」を再読したいと思いますが、次は家系図を丁寧に書きながら読んでみたいね。この気持ち、読んだ人なら分かると思います。

    マルケスの「百年の孤独」おすすめします。なんたって、20世紀後半の世界文学の最高傑作ですよ。人間、たまには訳のわかならいものと対峙しないと進歩しないと思うんだな。

    塩野七生のエッセイを読んで自分の旅でチュニスのことを思い出した、行ける時に行かないとね