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  • 池波正太郎の愛した築地のとんかつ屋「かつ平」を初訪問、巨大な衣をまとった“とんかつ”には度肝を抜かれた

    池波正太郎の愛した築地のとんかつ屋「かつ平」を初訪問、巨大な衣をまとった“とんかつ”には度肝を抜かれた

    本日は“とんかつ”のお話しです。

    昨日金曜日は銀座に野暮用があり、お昼時に出向いたのでした。そして、時刻は午後1時前です。今日はどこでランチを食べようかと。

    久しぶりに新しいお店に行きたいな。そんな時に頭をよぎったのが、先日2度目を読み終わった池波正太郎先生の「銀座日記」のことなのです。

    池波さんが愛した築地のとんかつ屋さん「かつ平」に行ってみようかと

    • 中央区築地6丁目12−10

    ちなみに「銀座日記」ではこんな紹介をされていますね。まずは「カンペールのクッキー」」から

     むかしの浅草の、私が住み暮らしていたような町すじが残るあたりの魚屋の筋向かいの小さなとんかつ屋へ初めて入る。 三十すぎの夫婦がやっている店で、ロースのうまさにおどろく。  ――

    このお店が「かつ平」ですね

    次は「夕暮れの築地あたり」という回で再登場します。

    映画『ソフィーの選択』の試写を観た帰り……  このところ、すっかり築地が気に入ってしまった。むかし、かの浅野内匠頭の屋敷があった〔あかつき公園〕のあたりから聖路加病院の周辺をぶらぶら歩いていると、まるでフランスの町にでもいるようなおもいがする。  自転車もほとんど走ってはいず、マンションやビルの横道には、むかしの東京の下町が息づいている。 とんかつ屋の〔かつ平〕へ行き、極上のロースを揚げてもらう

    銀座四丁目の交差点から徒歩15分ぐらいかな。

    13時過ぎに訪問です。カウンター4席とテーブル席(4人掛け)が2つという非常にこじんまりとしたお店です。揚げての親父さん、給士の女性2名で切り盛りされています。

    初訪問のお店です。まずはエールの交換です。瓶ビールを1本注文です。アサヒとキリンの2択です。本日はキリンにしました。中瓶ですね。

    お姉さんがお新香ならすぐに出せますと言われたので、お新香をもらいます。馴染み客と親父さんの会話を聞いていると、愉快な親父さん(ちなみにこの親父さんは初代から引き継いだ方で池波さん当時の親父さんとは違うとのこと)ですね。馴染みの人は映画の話しをしていました。本日は池波さん同様に“ロースカツ定食”(1,200円)を頼んでみました。

    お店の空気感は穏やかでいいね。まったりとビールを傾ける昼下がり、至福の時ですね。

    そして、非常に豪快なロースカツがやってきました。ひと目見て、その巨大な衣をまとったとんかつには度肝を抜かれたな。一瞬、食べきれるかなと不安になったのです。

    まずはお塩でいただきます。ソースは“あまくち”と“からくち”の2種類です。からしはお皿に適量が添えられるタイプです。

    とんかつのお味ですか。とにかく衣が少し主張しすぎるかな。口の周りが衣で汚れるね。自分としてはもう少し肉厚なとんかつの方が好きだな。いずれにしても、目黒の「とんき」系とも違うとんかつだね。

    最後にビックリしたのは、とんかつの下にナポリタンが少々添えられたことかな。とんかつにナポリタン、初めてだな

    とんかつ以外で不満に思ったのは、

    • キャベツはもう少し細切りが好きだね
    • ご飯はもう少し硬めがよい
    • カラシは自分で適量とれる方がよい

    そして、お会計は2,150円です。街並み、店の雰囲気、とんかつの豪快さで池波さん好きには是非訪れることを薦めるよ。

    ご馳走様でした。とにかくすごかった。

    池波正太郎も通った銀座の中華「羽衣」は大陸的でまさに昭和チックだった

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  • とんかつ修行、「とんき」目黒本店の暖簾分け店の三軒茶屋店は残念無念

    とんかつ修行、「とんき」目黒本店の暖簾分け店の三軒茶屋店は残念無念

    昨日、朝起きて急に思い立ったのです。“そうだ、今日のお昼はとんかつにしよう”と思ったのです。

    お昼にとんかつを食べたくなったのは、ちょうど2週間前に伺った「とんき 駒込店」以来かな。ちょうどそのときに調べたのですが、あの池波正太郎先生も愛した目黒の「とんかつ とんき 目黒本店」から暖簾分けしたお店が全国に7つあるというのです。久しぶりに目黒本店に伺っても良いのですが、残念ながらお昼時は営業していないのです。

    ちなみに正式に「とんき」の暖簾分けしたお店は下記のとおりです。東京は4軒、東京以外は3軒ですね。

    • 「高円寺店」
    • 「駒込店」
    • 「国分寺店」
    • 「三軒茶屋店」
    • 「新潟店」
    • 「新発田店」
    • 「牛久店」

    東京都内でとんかつの老舗名店はいくつかありますが、次の3つには是非、再訪も含めて行きたいんだな。

    • 蓬莱(上野)
    • ぽん多(上野)
    • 丸五(秋葉原)
    • (追記)先日通りかかった「とんかつ億 日本橋店」も気になるのですが

    だけど、昨日は「とんき」つながりで三軒茶屋店に行ってみようと思ったのでした。味の比較をしようと思ってです。

    「とんき 三軒茶屋店」は田園都市線の三軒茶屋駅から徒歩7分ぐらいかな。大きな通りに面しています。店の前まで来ました。店構えは、パリッとしたとんかつ老舗の暖簾分けした凛とした佇まいではないな。13時15分に入店しました。

    お店に入って驚きました。お客さんが誰もいないのです。そんなことにはめげずに、カウンター席に陣取ります。カウンターだけの10名ぐらいで満席かな。かなり小ぶりなお店です。

    自分が入店して2人組のカップルが入店されました。少しホッとしました。

    店内の第一印象も、先日の駒込店のような凛とした空気が引き締まった雰囲気はないな。少し雑然としている雰囲気です。だけど、まずは名刺代わりにビール中瓶を注文です。キリンのラガーです。

    おしぼりとツマミのピーナッツです。まあ、世田谷のトンカツやさんで平日の昼下がり、ビールとピーナッツで自由を満喫します。こんな生活が続けばよいよね。

    今日は、ロース or ヒレどちらを注文しようかな。かなり迷ったあげくに、今日はヒレかつ定食(1,900円)にしたのでした。待つこと、十数分でしょうか。からりと揚がった、姿かたちはとんきのとんかつです。

    まあ、かぶつりくわな。ヒレかつ旨しです。少し残念なのは、キャベツの千切りのみずみずしさが足りないかな。これはお世辞でもなんでもないですが、駒込店と比べて、とん汁は断然うまいな。そもそも駒込店は味噌汁だったもん。

    自分の個人的な感想としては、世田谷という大富裕層をバックに抱えるお店だけに、暖簾の重みもあるし、工夫すればかなりのポテンシャルがあると思うのですが。

    とんきの暖簾分けしたお店では自分は駒込店を選ぶな、キッパリ。

    駒込の「とんき」を訪問、清潔感あふれる店内とサービスは料亭並み、平日の昼間からビールとロースかつで至福の時





  • 池波正太郎が愛したてんぷらの名店「山の上」、“親の敵に会ったように”食べろ

    池波正太郎が愛したてんぷらの名店「山の上」、“親の敵に会ったように”食べろ

    池波正太郎先生の小説を読めばよく出てくるのが美味そうな食事の話しなのです。食に関するエッセイ本も多い池波さんなのですが、よくエッセイでも取り上げられていたのが山の上ホテルのてんぷらやさんなのですね。

    そんな池波の活力源となっていたのは、まぎれもなく「食」。外での食事であれ、家での食事であれ決しておろそかにせず、いいと思った店にはくり返し通って、その味を堪能した。とくに、「山の上ホテル」内にあるレストラン「てんぷらと和食 山の上」をひいきにしており、エッセイにもたびたび登場。池波ファンにとって、一度は訪れたい“聖地”となっている。

    川端康成や山口瞳など、山の上ホテルを定宿とする作家は少なくなかったが、そうした中で池波がはじめて山の上ホテルを訪れたのは、1983(昭和58)年の夏。友人にすすめられてのことだった。池波さんのエッセイの中にもこんな記述があります。

    今年の夏。私は、はじめて〔山の上ホテル〕の本館へ三泊した。そして、このホテルに魅了されてしまった。ために、ホテルを引きあげるとき、翌月の予約をしたのだった。私が気に入った部屋には大きな机がそなえつけられてあるし、時代小説以外の細かい仕事をするには、うってつけなのだ。(『新 私の歳月』<講談社>より引用)

    そして、特に贔屓にしていたのがホテル内のレストラン「てんぷらと和食 山の上」ですね。

    以来、山の上ホテルは池波の定宿となった。とはいえ、滞在中は小説を書かず、絵を描いたり、文学賞の候補作を読み込んだりするのが常だったという。そして、食事はホテル内の「てんぷらと和食 山の上」でとることが多かった。

    「てんぷらと和食 山の上」に入ると、左手にヒノキの一枚板のカウンター席があるが、池波は店が空いている時間を見計らって訪れては、カウンターの奥の席に座っていたそうだ。残念ながら、当時の料理長はすでに独立しているが、現料理長の寺岡正憲(てらおか まさのり)さんが、池波についてこんな話をしてくれた。

    当時は、銀座の名店『てんぷら近藤』の店主・近藤文夫(こんどう ふみお)さんが料理長でした。池波先生は、近藤さんの料理の腕前を非常に買っていらっしゃって、ホテルにお泊まりではないときも、たびたびお店にいらっしゃったと聞いています。奥の席がお気に入りだったのは、近藤さんの仕事が見える特等席だからではないでしょうか」

    野菜のてんぷらを出す店は今でこそ珍しくないが、かつては違っていた。江戸前の魚介を使ったてんぷらこそが“王道”であり、野菜のてんぷらは家庭料理という位置づけ。東京の専門店で出すのは“邪道”とされていたのだ。

    しかし、「てんぷらと和食 山の上」のかつての料理長・近藤文夫氏がその流れを変えた。

    山の上名物ともいわれる「さつまいものてんぷら」だ。こちらは直径7~8センチ、高さおよそ10センチの円柱にカットしたさつまいもを、そのまま揚げた豪快な一品。「当店は、中温と高温の二つの揚げ鍋を用意し、食材によって使い分けています。さつまいものてんぷらは、見てのとおり高さも厚みもあるので、中温の鍋で約50分かけて揚げて甘みを引き出しています」とは寺岡料理長の言葉だ。

    そして、てんぷらを食べるときの、池波先生の至極名言はこれだすね。

    てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べていかなきゃ、てんぷら屋のおやじは喜ばないんだよ(『男の作法』<新潮社>より引用)

    自分は「てんぷらと和食 山の上」にも、近藤文夫さんのお店にも言ったことはないが、いつかは味わいたいな、さつまいもの天ぷら。

    名物「さつまいものてんぷら」は揚げるのに時間を要するため、予約時か入店時に注文するとスマートとか

    神田ポンチ軒のアジフライは絶品、食べるべし、個人的には日本一です





  • ジョブズが愛した“まんじゅう”は、赤坂で120年続く和菓子店「青野」の豆大福

    ジョブズが愛した“まんじゅう”は、赤坂で120年続く和菓子店「青野」の豆大福

    昨日のブログでは、ビジネスマンの最強のおもたせは「岡埜栄泉」(おかのえいせん)の豆大福という記事を書きました。そして、大福と言えば思い出すのが、あの故スティーブ・ジョブズのことなのです。

    今回は大福つながりということでこの話題について書きたいと思います。

    ジョブズは、日本の食をたいそう好み、シリコンバレーにある和食店「桂月」に足繁く通っていました。残念ながら「桂月」は2011年に惜しまれつつも閉店となっており、ジョブズが夢中になった味を体験することはできません。しかし、「桂月」のオーナーであり、料理人である佐久間俊雄さんへのインタビューをまとめた「ジョブズの料理人」(日経BP社出版局編/日経BP)の中に、次のような興味深い一節があるのです。

    自分もこの本を購入し、読んで知ったのです。

    日本に行ったスティーブは、東京・赤坂の老舗和菓子店「青野」のまんじゅうをいたく気に入って帰ってきた。カウンターで興奮気味に話し、わざわざ後から店の住所などを書いた電子メールを送ってきたくらいだ。(『ジョブズの料理人』より引用)

    そうなのです。ジョブズが愛した味とは「青野」のまんじゅうのことなのです。ちなみに、「桂月」でも何度か自家製のまんじゅうを提供したと書かれてありますが、それに対するジョブズのコメントはこんな具合だったといいます。

    「だんだんとよくなっているが、青野にはまだ及ばない」と言う。そして直後に突然、いいアイデアを思いついたとばかりに「費用は全額負担するから、板前をひとり修行に出したらいい」と言い出したのだ。(『ジョブズの料理人』より引用)

    ジョブズが気に入っていた「青野」こと「赤坂青野」の歴史は古く、江戸時代にまでさかのぼります。もとは「青野屋」を名のり、神田明神の横で飴や駄菓子を商っていたのだが、明治時代になると五反田へと移転。今の前身、餅菓子屋「青野」として、大福、ぼた餅、ようかんなどを扱うようになる。現在地の港区赤坂7丁目に移転したのは1899(明治32)年のことで、2019年には、赤坂に店をかまえて120年目の節目の年を迎えています。

    そして、肝心のジョブズとのことのはじまりは、一本の電話だったとのことです。話しぶりから外国人だと思われるその電話の主は、青野の和菓子をカリフォルニアに送ってほしいといっていたとのこと。しかし、「赤坂青野」では基本的に海外への発送は受け付けていない。輸送に時間がかかってしまうと品質を保証できないからです。その時は、電話の主にもそう伝え、丁重に断ったそうです。

    ところが後日、一人の日本人が来店し、「カリフォルニアに和菓子を届けてほしい」といってきた。その人物は、無理なお願いであるのは重々承知であり、自分がいったん購入した品を送るから、と説明した。「それだったら」と、対応した5代目当主の青野啓樹さんも承諾し、以後、2週間おきに和菓子の詰め合わせを送ったそうです。

    「カリフォルニアへの和菓子の発送はおよそ半年間続きました。その後、来店された日本人の方から『実はスティーブ・ジョブズ氏に送っていた』と教えていただいたのです」と武田さん。

    そして、数ある「青野」の商品の中でジョブズのお気に入りは、一体どの和菓子だったのかです。

    店長の武田さん曰く、「当店の看板商品である『赤坂もち』は、カリフォルニアに送った詰め合わせに必ず入っていました。また、『ジョブズの料理人』の出版社の方のお話によると、ジョブズさんは当店の『豆大福』もお好きだったそうです」。

    豆大福。おもちは見るからにやわらかそうで、小豆がそこかしこにのぞいています。中には粒あんがみっちりと詰まっており、頬張った瞬間、あんの存在感には圧倒されます。

    「当店の豆大福は、塩味をきかせていません。豆もあんも北海道の大納言小豆を使っており、常連のお客様には『小豆の甘みを堪能できるのがいい』と好評をいただいております」と武田さんはおっしゃっています。しっかりと甘いのに、重たい印象はまったくなしの逸品です。

    だけど、自分は塩味を聞かせた「岡埜栄泉」にやっぱり軍配を上げるかな。キッパリ

    高輪の老舗和菓子屋「松島屋」で予約必須の豆大福を食べる。こちらも通のおもたせだよ



  • 007の原作者イアン・フレミングが愛した香りは、「フローリス」のフレグランス「No.89」

    007の原作者イアン・フレミングが愛した香りは、「フローリス」のフレグランス「No.89」

    新型コロナウイルスで苦境の中にいるJALですが、こんな時でもJALから情報誌「AGORA」(アゴラ)6月号が届いたのでした。

    但し、来月からは2ケ月に一度の発行に変更になるようです。

    そして、その雑誌の中から気になる情報を見つけたのでした。

    「背広」の語源になったともされるロンドンの中心地サヴィル・ロウ周辺には、スーツを仕立てるテーラーから、靴、帽子、シャツ、タイとさまざまな紳士用品を扱う店が集まっている。

    いずれもこのエリアに店を構える英国王室御用達の老舗三店は、それぞれ個性的な紳士用のフレグランスをを製造している。

    一番目は「フローリス」です。

    英国最古の香水商、1730年創業の「フローリス」のフレグランス「No.89」は、本店の住所であるジャーミン・ストリート89番地に由来するものだ。

    オレンジとヴェルガモットのシトラスノートにシダーウッドのウッディノート、相反する個性を併せもつこの香りは、映画「007」の原作者イアン・フレミングが愛した香りとして、今も同社を代表する製品となっている。

    次は「ペンハリガン」です。

    一方で、バーリントン・アーケードに店を構える創業1870年の「ペンハリガン」には、調香師ベルトラン・ドュショフール氏が、サヴィル・ロー16番地のビスポーク・テーラー「ノートン&サンズ」とコラボレーションして作った香り「サルトリアル」がある。

    イタリア語でテーラーを意味する「サルトリア」にちなみ、温かみのあるオークモスの香りをベースに、スーツを愛用する男性をイメージして作られたモダンな香りだ。

    最後は「D.R.ハリス」というお店です。

    こうしたロンドン紳士の香りの歴史に新たに登場したのが、創業1790年、ロンドン最古の薬局「D.R.ハリス」のコロン「No.14」である。

    このコロンは、昨年末に英国のメンズウェアブランド「ハケット ロンドン」が、サヴィル・ロー14番地に旗艦店をオープンすることを記念して発売されたものだ。

    ハケット氏好みのベティバーをベースにレモンを配合、ジン&トニックを思わせるジュニパーアクセントとなった爽やかなコロンは、万事控えるをよしとする英国紳士の哲学を彷彿させる。

    加えて、その爽やかさからユニセックスで穏やかな香りを好む女性の愛用者も増えているという。

    やはり、この3つの香水の中で一番興味を持ったのは、「フローリス」のフレグランス「No.89」かな。あの007の原作者が好んだという香りに興味があるんだな。

    日本では、ハウス オブ ローゼが取り扱っているようです。

    だけど、ロンドンでも有名な香水があるとは全く知らなかったな。

    香水と言えば、フランスかイタリアのイメージなのです。

    で最近、自分が好んでいる香りは、「ACQUA DI PARMA」(アクア ディ パルマ)なのです。2年前にミラノに行った際、偶然、モンテ・ナポレオーネ通りで堂々とした店構えのお店で見つけたのです。

    場所はカルティエの前にありますね。

    何でも、「メンズ―スーツにエレガントさを加える最後のエッセンス」として多くの高級ブランドで使用されることにより成功してきたブランドだそうです。

    そして、この「ACQUA DI PARMA」はルイ・ヴィトン等の多くの有名ブランドを持つLVMHグループの系列なのです。

    次にロンドンにいったら、是非また、サヴィル・ローにも足を運んでみたいな。紳士が作る香り、興味深いです。

    アクア ディ パルマをミラノで初めて知った。大変おしゃれな香水のお店。そして、大散財。