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  • やっぱり乾杯の音頭は“ルネッサンス”だよね、毒見の意味も込めてね

    やっぱり乾杯の音頭は“ルネッサンス”だよね、毒見の意味も込めてね

    2024年1月8日(月)

    本日は成人の日で祝日です。いつもテレビで見る光景ですが、どうしてバカな成人はあんな変な格好をして大暴れするんだろうね。1日経てば日常の現実に戻るのに。そのあたりの心情は全く理解できないね、その人達、情弱なのかな。

    まあそんな話しはどうでもよいのですが、先週の土曜日の日経新聞の「マナーのツボ」からお祝いのときにまつわる面白い話しを引用したいと思います。

    題して、“乾杯でグラスは鳴らすべきか”という珍問答です。思わず、“ルネッサンス”と声を上げながらカチャーンとしたいよね。

    先日ある宴席で「乾杯のときにグラスをぶつけないのがマナーです」と話を切り出した人がいました。確かに乾杯の際にグラスをカチンと鳴らさないほうがよいという考え方があります。結婚式場やフォーマルなレストランでは、繊細な薄いグラスを使用していることが多いので、傷がつかないように音をたてることは避ける方が無難です。もし割れてしまったらその場の雰囲気を壊してしまう可能性もあります。

    グラスを鳴らさない乾杯の仕方は、唱和をしながらグラスを目の高さまで持っていきます。そしてグラスを上げたまま、隣や近くにいる人とアイコンタクトや目礼をします。ひと口グラスに口をつけて飲んでから、最後にテーブルにグラスをそっと置いたら拍手をしましょう。

    乾杯でグラスを鳴らす文化は、もともと西洋の宗教的な儀式や悪魔はらいがはじまりだったようです。互いの飲み物が飛び散り混ざり合っても毒が入っていないという意思表示で行われていたとの説もあります。

    一方、居酒屋のジョッキで乾杯をするときはグラスが丈夫なので、にぎやかにグラスの音をたてながら乾杯するのも活気づきます。

    マナーで大切なのは、周りに不快感を与えないよう臨機応変に対応する力です。配慮しながらも明るく乾杯をして、その場が楽しいものにあれば素晴らしいですね。

    確かに、西洋での毒の説には説得力がありますね。真っ先に思い出したのが、あのイタリアの毒を盛る男で有名な“チェーザレ・ボルジア”のことです。大変おもしろい話しです。

    まあ自分としては楽しく飲めればそれでいいかな。今日は3連休の最後ということで軽いですが為になる話しでしたよ。

    知らなかった箸にまつわるマナー、駅弁を食べたあとの割り箸は折って捨てるべし



  • 年賀状のマナー、「賀正」や「迎春」は目上の人には使えないとは、知らなかった

    年賀状のマナー、「賀正」や「迎春」は目上の人には使えないとは、知らなかった

    2023年12月11日(月)

    本日は3ケ月に1回のルーティーンの日です。自分は年4回、歯のクリーニングに定期的に通っています。3ケ月に1回です。本日がその日であり、午前は渋谷の歯科医さんだったのです。

    というわけで、ランチは渋谷です。渋谷といえば、老舗中華の「喜楽」さんです。11時30分開店ですが、本日は11時25分に列に並びます。運良く初回の回で座れたよ。注文はいつものとおり、“チャーシューめん”(1,000円)。美味し。

    そして、本日の本題です。年末年始も近づいてきたことだし、年賀状についてのお知恵をね。土曜日の日経新聞の「マナーのツボ」からです。

    賀正や迎春、目上の人には使えない

    メールで新年のあいさつをする方も多くなっているようです。こちらが年賀状を出していないのに、きたときの返事はどうすればいいのでしょうか。例えば同年配の方から「新年あけまして、おめでとうございます」と賀状が届いたら、同じように返せばいいのでしょうか。

    「あける」には「梅雨が明ける」のように「終わる」ことも想像させます。「新年は閉じる」ともとられる可能性があるので、「新年おめでとうございます」か「あけまして、おめでとうございます」と返す方が無難です。

    目上の方には「謹んで新年のご挨拶を申し上げます」と返したほうが丁寧です。目上の方にしか使えない賀詞に「御慶び申し上げます」もあります。

    「賀正」「迎春」などの2文字は目上の方には使えないと言われています。簡略した言葉だからです。

    例えば「恭賀新正」。「あらたなお正月を恭しくお祝い申し上げます」という意味です。「賀正」はこれを簡略化したものです。「迎春」は「迎春万歳」を略したもの。「万歳」はもともと古代中国で皇帝の長寿を願い、世が栄えることを祝った言葉で、目上の人を敬う意味があります。

    返事は2-3日以内にしたいので、年内に賀状を買っておきたいものです。同輩や目下の方には、携帯メールでもよいと思います。「メールで失礼ですが」の一言は欲しいですね。

    マナーデザイナー 岩下宣子

    自分の年賀状は裏面のみ印刷してもらっています。よって家族全員同じ年賀状を出すのですが。この方式ですと、目上も目下も混ざってしまうのですが、こんな場合はどうしたらいいのかな、岩下先生。「賀正」や「迎春」という賀状は使わない方がよいのかな。

    年賀状一つとってもなかなか難しいね。こんなことは初めて知ったのです。日本語は難しいね。

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  • 知らなかった箸にまつわるマナー、駅弁を食べたあとの割り箸は折って捨てるべし

    知らなかった箸にまつわるマナー、駅弁を食べたあとの割り箸は折って捨てるべし

    今日の話しは2021年12月25日の日経新聞の土曜日版の別紙に出ていた記事なのです。

    自分は全く知らなかった箸にまつわる物語だったのです。こんな話し誰からも聞かされたことはないんだな。常識がないのかな、少し心配。

    毎週掲載されている「マナーのツボ」というコラムで、タイトルは“正月に柳箸を使うのは、折れにくく、縁起がいい”というものです。

    執筆者はマナーデザイナーの岩下宣子さんという方です。

    もういくつ寝るとお正月、準備はおすみですか?

    おせち料理などの祝い膳には、「中太両口箸」といって箸の中ほどが太く、両端が細くなっている柳箸を使いますね。「柳に雪折れなし」と言われるように、柳はしなやかで折れにくいことから、縁起がいいとされているからです。

    両端が細くなっているのは、片方は人間、もう片方は神様が食べるためとされます。正月に年神様と一緒に食べることで、一年の幸せと健康をいただくのです。箸には使った人の魂が宿ると考えられているので、正月用の箸袋には家族の名前を書きます。三が日使うので、使うたび清めてそれぞれの箸袋に入れます。

    箸の名前に由来には諸説があり、人間と食べ物をつなぐ命のかけ橋からという説があります。箸が使えなくなることは、食べ物が口に入らなくなり死を意味します。

    昔の人は、外で使用した割り箸にもその人の魂が宿ると考え、そのまま捨てませんでした。災いにならないよう、食べ終わった割り箸を折り、箸に宿った魂を自分に戻してから捨てたそうです。今でも私は、箸を処分するときには二つに折り、庭の土を塩で清めてから埋めるようにしています。

    以前、若い女性とご一緒したとき、駅弁に使用した割り箸を、折って捨てていました。日本の文化をよく知っていると感心して尋ねたら、「捨てるのにコンパクトにしたいから」。箸を折る理由をお話ししたら、驚かれました。

    ということは、フォークとナイフならどうなんだ、というツッコミはなしです。

    今度は新幹線なでで大人が駅弁を食べるところを凝視したいと思っています。しかし、「庭の土を塩で清めてから埋める」までは現代的にはやりすぎではないかと思うのですが。

    だけど、指摘されているたまに厳粛な場所での会食などではこの両端が細くなっている箸が出されることがありました。こんな由来があったとは知りませんでした。

    自分が無知なだけでした。失礼しました。

    もう老舗の蕎麦屋さんで豪快に音を立てて食べるのはマナー違反だよ、現代に合わない、美学を持とうよ



  • 病気見舞いの手紙を出すときは二重の封筒でも構わないとは、こんなマナー知らなかったな

    病気見舞いの手紙を出すときは二重の封筒でも構わないとは、こんなマナー知らなかったな

    土曜日の日本経済新聞の別紙に気になるコラムを見つけたのでした。

    「マナーのつぼ」という連載で、本日のお題は“見舞いの手紙、封筒は?”というものです。筆者はマナーデザイナーの岩下宣子さんという方です。

    記事に入る前ですが、自分はこの歳になっても、このコラムのマナー、すなわち、封筒にも一重と二重があり、使っていい用途があるということを知らなかったのです。

    コラムの本文です。

    新型コロナウイルス禍で、入院した知人を見舞うことが難しい昨今。お見舞いの手紙を書く機会は増えていると思います。先日、「目上の方への病気見舞いの手紙には裏紙のある二重の封筒を使っています」と書いた知人が、「病気見舞いのような不幸な手紙の封筒は一重よ!」と非難されたそうです。

    確かにネットなどには「病気見舞いの手紙は、二度と起こらないようにと一重の封筒で」と書いてあります。読者の中にも、「病気がまたあるようになるから一重の封筒でしょ!」とおっしゃる方がいるかもわかりません。

    一重の封筒は、人の死に関する「弔事」には必ず用いるものなのです。

    死が二度と繰り返すことがないようにとの考えからです。

    ですが、病気は弔事ではありません。その証拠に、病気見舞いに金銭を包む場合には、赤白の水引か赤い線が入った封筒や包みを用います。回復を願って差し上げるものだからです。お金などの包みは2枚重ねるのが正式です。

    また、目上の人に手紙を差し上げるとき、正式には二重封筒を用います。普段のカジュアルなやり取りでしたら一重でもかまいませんが、きちんとするなら二重封筒がベターです。

    上記の理由から、目上の方に病気見舞いの手紙を出すときは二重の封筒で構わないのです。もちろん目上でもカジュアルな関係でしたら一重の封筒でも問題ありません。迷ったときには、元の意味を考えると色々とわかります。

    いろいろと考えさせられる文章です。

    もう一度封筒の種類を整理しておきます。

    封筒には、紙を一枚仕立てで作られた一重のものと、内側に内紙が貼られた二重のものがあります。この、内側が二重構造になったものが二重封筒と呼ばれます。  日本では、喜びが重なるようにとの意味で二重のものはおめでたいとされているため、二重封筒は正式な場合や目上の方に送る場合などに用います。 二重封筒は内側に内紙が貼られており、中身が透けて見えないようになっています。この“見えないようにしている”という配慮も、送り主への気遣いになり、かしこまった場合の封筒に適しているといえます。

    まあ、あまり余計なことは考えずに、真心の入った手紙を送ってあげることが一番大事なのだと思いますが。マナーは難しいですね。

    知らなかった箸にまつわるマナー、駅弁を食べたあとの割り箸は折って捨てるべし



  • 辛酸なめ子さん曰く、電車の入り口で立っているおじさんのことを“狛犬”(こまいぬ)と呼ぶんだとか

    辛酸なめ子さん曰く、電車の入り口で立っているおじさんのことを“狛犬”(こまいぬ)と呼ぶんだとか

    先日、日経新聞の夕刊で確か金曜日に定期的に掲載される書評欄に非常におもしろく、含蓄のある一文を見つけたのでした。

    本の著者は辛酸なめこさんです。ペンネームからしてすごい名前を付けるな。おぬしできるなというペンネームです。内容はこんな感じなのでした。

    世間では?(もしかして辛酸なめこさんだけ?)、電車の入り口に立っているおじさんのことを狛犬(こまいぬ)と呼ぶのだそうです。

    この一文を見て、ざぶとん一枚です。自分はこんな呼ばれ方をしているのを初めて知ったのでした。確かに言い得て妙です。

    たいてい電車の入り口にたっている人は内側に向いて立っているんだなその様はたしかに狛犬です。おじさんだけに限らず、おばさんも若者もいます。全員、狛犬状態です。

    確かにあのポジションは居心地が良いのはわかります。乗降客には邪魔の存在なのは分かっているのですが。椅子に座れなければ、あのポジションが最高なんですね。立つ人にとってはね。

    そして、狛犬で思い出されるのが、作家・脚本家であった故向田邦子さんなんだな。映画にもなった「あ・うん」です。高倉健、富司純子, 板東英二が主演する名作ですね。

    ふたりの男とひとりの女の微妙で不思議な関係を描いた降旗康男監督の名作です。

    そして、不覚にもこの「あ・うん」という言葉を知らなかったのです。

    漢字では「阿吽」と書きます。

    本来「阿吽」は仏教用語における「言語観」で「阿」は開口音(=口を開いて最初に出す音)、「吽」は閉口音(=口を閉じて出す最後の音)のことです。 サンスクリット語(古代インド)において、最初の字音である「阿」と最後の字音である「吽」であり、万物の始まりと終わりを表すとされています。

    また「阿」は万物が発生する原理、「吽」は万物の集結する智徳を表すとされていて、また菩薩心と涅槃などを表すとされています。

    「阿吽」には「相対・対比・対立など相対する二つのもの」といった意味もあります。

    これは、対となる物に「阿吽」が用いられていることにあります。 神社の狛犬や金剛力士像、そしてシーサーなど一対で存在する宗教的な像は、一方が口を開いた「阿形(あぎょう)」と、もう一方は口を閉じた「吽形(うんぎょう)」となっています。 このことから、「阿吽」は「相対・対比・対立など相対する二つのもの」となりました。

    神社前にある、こま犬。左が阿「あ」右が吽「うん」

    本来であれば、こんな崇高な意味がある“あ・うん”の狛犬ですが、電車の中のおじさん狛犬2人も魔除けの効果を発揮しているのかは不明です。

    話しは戻って、この「あ・うん」という映画ですが、自分は何の知識と先入観なしに初めて見た時、たんたんとした映画で本来の良さがわからなかったのです。大人の映画ですね。

    高倉健さん、会心の演技です。

    日常に戻れば、自分も電車の中で“狛犬”と呼ばれないようにしないといけませんね。

    そして、今日も電車の中の言われているのでしょう、“おじさん狛犬見っけ”と。

    向田邦子への賛辞。あの人はね、パシっとした女でした、つまり「昭和のホンモノ」です