カルロスゴーンの逮捕を見て、「地獄の黙示録」のカーツ大佐を思い出した。また、替わりが現れるだろうということ

ここ最近、カルロス・ゴーンが逮捕された話題でもちきりです。

事の本質と真偽は裁判が結審するまでわかりませんが、マスコミから流される報道だけを見て判断するに、結局、人間の本質は変わらないということ

この事件を見て、自分の好きな映画の一つ「地獄の黙示録」のカーツ大佐のことを思い出しました。この映画は自分の大学生の時に封切られた。コッポラ監督の超大作ということで、期待して映画館で観た覚えがある。

だけど、その時の感想は、「なんじゃこの映画。全く意味がわからない」と思った。

その後、DVDを購入して30代の時に再び観た。この時は上映時より時間が長いバージョン。

年齢を経て、社会経験を経て、ようやく意味がわかった気がする。

結局、人間の本質は変わらないものということを言いたいんだよな。

ベトナムのジャングルの奥でカーツ大佐が自分の帝国を築く。それを良しとしないアメリカが

大尉のマーティン・シーンを派遣して暗殺させ、帝国をつぶそうという話し。結局、カーツ大佐を殺しても、また、第2のカーツ大佐を作り出してしまうということ。原作はコンラッドの「闇の奥」。

もちろん、マスコミで流されていることが事実であれば、カルロス・ゴーンがやったことは許されるものではないが、人間の本質は変わらないのであるから、また、日産でも他社でも第2、第3のカルロス・ゴーンが現れることだろう。

自分の手帳にメモしている言葉。昔の日経新聞で冨士ダイスの新庄鷹義社長が言っていた言葉。「会社の幹部の品性は能力に優先する」と。

また同じく以前掲載された日経新聞の「私の履歴書」から元野村証券社長の田淵節也さんの言葉。自分のメモより。

人間の器量の大きさを指す「清濁併せ呑む」というのは好きな言葉だ。世の中には善い人間もいれば、悪い人間もいるが、本当に判別できるものなのか。何が清で何が濁か、人間には分からない。神様だけがご存じで、評価はうんと後になってから分かる。

そしてもう一つ

経営者の資質で最も大事なのは「運・鈍・根」の「鈍」ということを学んだ。運は誰にも巡ってくるし、根気強い努力も大切だが、鈍に徹するのが一番難しい。「切れ者は警戒されてうまくない」と教えられた。

そんなことを思いおこさせた事件でした。以前の奥さんと離婚されていない時に、麻布十番の奥まったところに、ゴーンさんの奥さんが開いていた「レバノン料理」のレストランを思い出しました。

しかし、コッポラの中で一番好きな映画は「ゴッドファーザー Part1」だけど、コッポラを破産させるほどお金をつぎ込んで製作された「地獄の黙示録」も超おすすめの映画ですよ。

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