阪妻版と三船版の「無法松の一生」を劇場で観たよ、阪東妻三郎を初めて観たが、迫力あるね、あの故田村正和のお父さんだものね

本日の話しは本当にシブいよ。古い映画のお話しです。

実は先週と今週続けて「無法松の一生」を劇場で見たのです。絶賛開催中の“午前十時の映画祭”でね。昭和生まれの自分としては「無法松の一生」というタイトルだけは知ってはいたのですが、話しの筋も知らず、ましてや映画も観たことがないのです。相当な年配の方以外はそうだと思うのです。まあ、頭にはあっても忘れ去られおり、興味もなかったのです。

ましてや、主演が阪東妻三郎と三船敏郎の2つがあることなど露も知らずです。

まあ、時間もあったので、先週まず阪東妻三郎主演の「無法松の一生」を観たのです。こちらは白黒映画です。今回の劇場上映のために作られた解説が15分あったかな。この阪妻版は戦時中ということもあり、まずは日本の軍部からの検閲で相当部分がカット、アメリカに敗戦後の検閲で更にカットという憂き目を見ての、映画だったのですね。

阪妻版と御船版の比較はあとにするとして、この阪妻を観て深く感動したのです。解説の中でも誰かが言っていたように検閲でずたずたにされたことにより、より普遍的なテーマも持つ映画になったかと。肝心の話しこんな感じです。ちみなに両方とも監督は稲垣 浩です。

明治30年、小倉に無法松と呼ばれる人力俥夫の松五郎がいた。松五郎は博奕で故郷を追放されていたが舞い戻り、若松警察の撃剣の先生と喧嘩をして頭を割られ、木賃宿の宇和島屋で寝込んでいた。そんな松五郎は喧嘩っ早いことで評判で、ある日、芝居小屋で仲間の熊吉と枡席でニンニクを炊いて嫌がらせをし、木戸番と喧嘩するが、土地の顔役である結城重蔵の仲裁で素直に謝った。松五郎は意気と侠気のある男だった

松五郎は堀に落ちてけがをした少年・敏雄を助ける。敏雄の父親は陸軍大尉の吉岡小太郎であり、これが縁で松五郎は吉岡家に出入りするようになった。しかし、吉岡大尉は雨天の演習で風邪を引き急死した。夫人のよし子は、敏雄が気の弱いことを心配して松五郎を頼りにする。松五郎は夫人と敏雄に献身的に尽くしていった

やがて敏雄は小倉中学の4年生になり、青島陥落を祝う提灯行列の日に他校の生徒と喧嘩をして母をハラハラさせるが、松五郎は逆にそれを喜び喧嘩に加勢した。その後敏雄は五高に入学し、松五郎とは疎遠になっていった。小倉祇園太鼓の日、夏休みのため敏雄が五高の先生を連れてきて帰省した。本場の祇園太鼓を聞きたがっていた先生の案内役をしていた松五郎は、山車に乗って撥を取り太鼓を打つ。流れ打ち、勇み駒、暴れ打ち。長い間聞くことのできなかった本場の祇園太鼓を叩き、町中にその音が響いた

それから数日後、松五郎は吉岡家を訪ね、夫人に対する思慕を打ち明けようとするが、「ワシの心は汚い」と一言言って、彼女のもとを去った。その後、松五郎は酒に溺れ、遂に雪の中で倒れて死んだ。彼の遺品の中には、夫人と敏雄名義の預金通帳と、吉岡家からもらった祝儀が手を付けずに残してあった

いわゆる人情&悲恋ものです。話しと時代背景は日本人の琴線に触れますね。三船敏郎版はカラーだし、吉岡夫人にはあの高峰秀子です。こちらも観るしかないだろうと。高峰秀子を大画面で見れる機会はないと思うので。こちらは検閲カットのない完全版です。

思ったのは三船はさすがの演技、高峰秀子は声が少しだみ声なので色気がないかなと思ったのですが、やっぱりあの運動会のシーンでの阪妻の方に軍配を上げるな。思うに、妙に検閲でカットたれた阪妻の方が優れているのです。あの三船の最後の雪の中のシーンも必要ないし、婦人に打ち明けようとするところもなくても良いよ。阪妻版の最後バサッと切る方が余韻があってよいね

だけど三船版での拾い物は、親分役に笠智衆が見れたところかな。これは拾い物です。

話しは変わりますが、高峰秀子の著書「わたしの渡世日記」は傑作だよ。あの楠木建教授も大推薦だよ。

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